鷲田清一  香住泰男  石垣りん  西条八十  新川和江 「わたしを束ねないで」

鷲田清一さんが朝日新聞の「折々のことば」で悪戦苦闘していることは紹介した。
詩歌という限定が無い分、却って自由に選べる苦しさ厳しさを痛感しているように見える。
昨日はボクの大好きな画家の一人・香住泰男の言葉を取り上げていたので嬉しかった。
シベリアに抑留されていた画家で山口県の人、なんとあの立花隆の最初の著書が香住についてのもので、画家の生涯だけでなく作品が豊富に紹介されているおススメ本だ。
山口の湯田温泉生まれの中原中也の名を冠した研究会が、小林秀雄との関連をテーマにした時にパネリストとして呼んでもらった時に、山口県内の美術館で香住の作品を現物で観ることができたのは幸せだった。
劣化しやすい画材なので、あまり公開するのがはばかられるのだというから、関東地区で公開されたらぜひ観に行きたいしおススメしたい。

鷲田さんが25日に取り上げていたのは、これもボクの好きな詩人の石垣りんだったけれど、詩作品からではなくてエッセイ集『焔に手をかざして』からの引用だった。
石垣りんの「崖」という傑作は桐原書店の教科書に採録してもらっているけれど、皆さんにもぜひ一読してもらいたい女性の立場からの反戦歌、感動するヨ。
タミさんがりんの詩を授業でやったようなことを言ってたから、このエッセイ集(ちくま文庫)はタミさんに上げようかな、他に欲しがる人がいなければ。
19日には西条八十の「カナリア」を取り上げていたと思うけれど(手元に無い)、八十は童謡もイイけどフツーの詩もステキなのもあって注目している。
それにしても詩を読む機会が退職しても確保できないので淋しい残念!
種々目先の仕事に追われているものの、自分で詩を読むことを習慣化すれば毎日でも読めるのだから、自分の責任ということになる。
八十と言えば「黒柳徹子のコドモノクニ」(BC−TBS、水曜夜10時)で特集していて、出身地の茨城で見出された現代詩人が新川和江だと知って驚いた。
新川の詩も桐原に採録してもらった記憶があるけれど手許に無いので確認できないが、『新川和江詩集』(現代詩文庫、思潮社)は具えておくことをおススメしたい。
それはともかく別の意味で驚いたのは自分の記憶違い。
お気に入りの詩で「わたしを束ねないで」というのがあり、作者はてっきり茨木のり子かと思い込んでいたらこれが何と新川和江のもので番組で朗読していた。
ヒッキー先生が立教院生だった頃に、後輩のために日本人も含めた思想地図を作成してくれていたけれど、ボクが入ってないのでチョッと気を使っていた様子だったのを覚えている。
その時は言わなかったけれど、ボクの立場は「わたしを束ねないで」で一貫しているのでそんなに簡単に分類されてたまるか! という気概で読んで書いているから地図に整序化しえないと思う。
むしろ「束ね」られたら終りだと強く自覚しているからこそ、同調圧力に抗してマイペースで生き・論じていられるのだと思う。
学生時代でも、どのセクト(党派)に属さないでノンセクト・ラジカル(?)で通していたのも「束ね」られたくない思いからだったのだと思う。
だから全共闘運動(まさに運動体であって組織ではない)が始まるまでは、反共産党系の種々のセクトのデモに参加していたものだ。
小林秀雄を研究対象に選んだのも偶然ではない気もするし、学生時代に誰でも読んでた吉本隆明だけでなく、単独で江藤淳を読んでいたのも「束ね」ることができない批評家だからだろう。
流行りの理論に「束ね」られがちな研究者ばかりなので、ボクのレゾンデトル(存在理由)があるものと思って研究指導でも「束ね」ないように配慮しているつもり。