藤田嗣治展  芸術家の戦争責任?

和文学会の会場が早稲田だったので、東西線をチョッと乗り過ごして竹橋(国立近代美術館)の藤田嗣治所蔵展(最終日)に寄ってしまった。
前に紹介したとおりむやみと安価な料金だったけど、65歳以上は無料だと記してあったのでさらに嬉しい驚き!
手短かに言うとフジタの白色には改めて感動したけれど、戦争画が以前観た時の感動が蘇らなかった。
もっとも有名な「アッツ島玉砕」がだいぶ小さく見えたのも、迫力を感じなかったせいだろう。
最初に観た時はあのフジタがこんなにも異なる絵を描いたのかという衝撃が強かったお蔭で、絵それ自体の評価よりもフジタの人生に感動してしまったものと思われる。
もちろん素材となった戦争が強いた悲劇にも動かされたには違いないものの、それ以上に時代の要請に応じてこんな絵を描かなければならなかった、それも心ならずもではなく本気・前向きに描いた心裡(心「理」ではない)に思いを馳せた時の感銘だ。
嫌々描いたのならまだしも救われただろうが、国家や国民のため(天皇のためという気持は薄かったのだと察している)に精一杯ガンバッタのに、戦争が終わると掌を返すように自分を支持していた美術科や国民から非難されたのだから、さぞや居た堪れなかったものだろう。
藤田嗣治が日本と日本人を捨ててフランスに帰化してレオナルド・フジタになったのも十分頷けるというもの。
文学で言えば火野葦平林芙美子など数多くの例が挙げられるが、葦平のように思うような表現が許されぬままむやみに時代に受けてしまったお蔭で、戦後は懊悩の果てに自殺にまで己を追い込んでしまったのは悲痛過ぎる。
金子光晴のように徹底反戦の態度を貫いたことに対しては、誰しも最大の敬意を惜しまないだろうが、誰もが金子のようには生きられないのもやむを得ないだろう。
罪悪感も持たぬまま意識的に時代に迎合しつつ、非戦的な文学者を窮地に追い込んだヤカラは徹底的に追及すべきであろうが、時代を俯瞰的に見ることができぬまま誠意を持って生き、その結果として傷ついた人たちを、高見の見物をしていた者(我々を含む)が気安く批判していいものだろうか?
定時制高校の教員時代、もろに戦争を体験した左翼思想の大先輩に向かって「時代に乗った国民にも責任が無いとは言えない」と言ったら、本気で叱られたことを思い出す。
「あなたとは絶交だ」というくらいのご立腹だったけれど、自分としては乗せられてしまった判断力の欠落と、誤りを気付いた時に沈黙したとすれば、その責任は国や軍部のせいにだけはできないと反論したかったのだけれど、体験した人たちの思いには抗し難い重さがある。
それ以来この難問を引きずり続けているのだけれど、いずれにしろ簡単簡略な手付きで一面的に片付けてもらいたくない、絶対に!