葛西善蔵でも充実できた!

レポのマンジュ(ちゃんを付すほど子供でなくなったのが分かる発表だったし)がテクスト論で読み換えると息込んだ割には腰が引けていて歯がゆいばかり。
それでも何とかしようとする気持と才覚は伝わってきたので、これなら修論の対象として候補になると判断できたのは収穫、あと数歩!
先行研究に気を遣い過ぎなのも気になった、もっと生意気な姿勢で臨んだ方が飛躍できるだろう。
語り手への注目など、せっかく先行論の弱点を掴んでいるのに、それを突破口にしない手は無い。
それにしてもヒドイ論ばかりという印象だから、切り込む余地はたくさんありそう。
現役生とは違ってベテラン達にたたかれるのもイイ機会で、磨きがかかるだろうからまた別の作品で発表するとイイ。
議論が盛り上がったのもレジュメの挑発力の結果だから、可能性は十分ということ。
あとはいただいた意見を参考に煮詰めて行けば道が開けると思う。
善蔵論をものしたことのある矢野利裕クンが参加してくれたのも、議論が深まった賜物だろう。
先行研究に無い模様なのが気になるけど、語り手の問題にからんで〈自虐の笑い〉に注目すべきだ、と考えるのでその点も煮詰めて欲しいものだ。
井伏から太宰に受け継がれた〈笑い〉だけれど、善蔵がそこにどう絡むのかとても気になるところ。
「子をつれて」だけに突出した〈笑い〉なのかどうか・・・あまり自分じゃ読みたくないけど(牧野ほどではないけど好きな作家じゃないナ)。
「芸術至上主義」などという高級な言葉にはそぐわないけど、(面白くも無い)小説を書くために全てを犠牲にするフテブテシサには驚く。
太宰が逃れられなかった過剰な自照性・ネガティブな自己意識が欠落しているのが嫌なのかな?
(個人的には好みの)近松秋江と比較対照すると葛西の独自性の一面が見えてくるかもしれない。