関谷ゼミブログ

年賀状は毎年380通ほどやり取りしているけれど、昨年に引き続き今年は近況報告をしたので、一昨年までの言葉遊びで爆笑失笑(の果てに失禁する)してもらう味わいには欠けている(お約束の下ネタだけは1ケ所あり)。
韓国・台湾・中国からも頂戴しているのも嬉しいかぎりだけれど、その中にも記されていた「ブログ読んでます」と付されている賀状も毎年少なくない。
締め切りなどに追われて2・3日更新が途絶えると心配されてしまうので「責任」らしきものを感じてしまうが、当初の目的だった授業案内が不要になった今は、卒業して気持がこもりがちにならないように喜怒哀楽してもらえれば、というモチーフで書いているという自覚はある。
もちろん自分のことだけを考えれば時間の無駄で、その時間を読書や執筆に充てるべきなのだろうけれど、根が「教育者」のせいか他者のことを思いやって生きていないとダメなようだ。
「教育」は気持の通じ合いが基本だから、読者である相手のお蔭でこちらも満たしてもらいながら十全に生きることができているということで、読んでくれてありがとうと言わねばならない。
卒業生を中心としたヒグラシゼミも同様で、お互い精神的にだけでなく研究能力的にも引きこもらないように継続しているわけだ。
ブログと違ってゼミの方は(釣り部も)参加者同士がつながってくれることも願っており、そのつながりがイチロー没後に継続して励まし刺激し合ってくれれば嬉しいかぎり。
在職中は研究室の電話で緊急の相談に乗れたけれど、それができない今はメールのやり取りで世に言う「何でも相談室」を継続している。
直接声は聞こえてこないけれど、心の声に伴って相手の声が聞こえてくる錯覚があるので楽しい。

* 別のことを書こうと前振りのつもりでブログの反応に触れたのだけれど、ガラにもなくマジメな書きぶりになってしまったので後が続かなくなってしまった。