清張って評価され過ぎじゃない?

「川端の」という枕詞が付くようなヨリコさんが何故清張などを、という不安が現実化されたような発表だったかな。
大塩竜也という清張の専門家を始め、久々登場のクリマンも清張論のある参加者等から突っ込まれたせいもあるかもしれないけれど、論の行く末が不明なままでまとめるのが難しそうな印象。
それでも意外なところで評価される観点もあって、方向転換しだいでは何とか面白い論に発展できないこともなさそう。
それにしても専門家というのは何でも知ってるものだ、と大塩氏のコメントを聴きながら思ったけれど、ボクが清張に付いて無知すぎるためもあったかも。
今まで全然読まなかったわけではないし、特に大塩・クリマン・初登場のカナさんという立教系の皆さんお得意の分野らしい清張を、立教院の演習で取り上げたこともあったけれど(この3人はいなかった?)何が面白いのだか全く分からなかった。
代表的な長篇まで読もうとする魅力を感じないので未読のまま、短篇を数篇しか読んでない印象で言うのも気が引けるものの、ボクが不得意な大衆・通俗小説家としか思えない。
推理小説ファンだった三好行雄師にも成長論があるらしいけど読んだことがないし、崇敬する山田有策氏は清張研究会を支えながら10本ほどの論があるけどそれも読んでない(作品を読んでないし)。
今回ヨリコさんが新興宗教がらみで論じるというので、山田氏から頂戴した『松本清張研究』(4号だったか?)の宗教特集の山田さんの「神々の乱心」論を拝読した。
作品の構造自体がハチャメチャなようで、結果としてハチャメチャに面白そうな小説だけれど読むのがメンドクサそう。
そんなに捻(ひね)らなくても良かろうに、と思ってしまうと清張(あるいは推理小説、さらには大衆小説)の読者になる資格に欠けるのだろうナ。
新興宗教と言えば、ボク等の世代なら高橋和巳邪宗門」がメチャ面白かったけれど、テクスト自体はメチャクチャではなかった。
邪宗門」は大本教をモデルにしていると教えられたけれど、それとは無関係に楽しんで読めた。
吉本隆明の評言どおり「知識人の大衆小説」そのものだった。
上記の雑誌(誤植が目立つヒドさ)に阿刀田高が短篇では「菊枕」が最高だと語っていたから読んでみたけど、筋を追うことが主眼のようなものでストーリーテラーとしては評価できるかもしれないけれど、とても小説を読む楽しさも感慨も得られない。
阿刀田は文体も評価していたけれど、まさかと思って読んだらやっぱりヒドイ文章だったヨ。
三島由紀夫が100パーセント清張を認めてないので、中央公論の「日本の文学」に入れなかったというのは(この全集は自家にあったけど気付かないほど興味が無かった)後で知ったことだけれど、三島なら当然だネ、イデオロギーは別にしても。
そう言えば清張を文学として論じているものが見当たらないようなのも、外側からしか論じることができないという事情のせいなのかな?
何を読んでもコンプレックスに根付いているワンパターンで清張の何がイイのかサッパリ分からないけど、当日の議論はメチャクチャ面白かったナ。
ヨリコさんが論文化を目指しているので詳しいことは記せないので、将来をお楽しみに!