茂木健一郎  小林秀雄  中村光夫  蓮実重彦

先日、中野信子さんについてメディアに消費されるようになってはツマラナイと記した際に、それでも同じ(?)脳科学では茂木健一郎に比べればマシかな、と浮かんだけれど書かなかった。
茂木は以前アサマシイ脱税騒ぎで信用を失くしたことがあったけれど、カネが一時に入って来るという慣れない事態に自失したのも育ちが悪かったので仕方ないのかも。
カネに弱いのはともかくも、書いていることがそれ程バカとも思えなかったので、中野さんを持ち上げるための材料にはしなかった次第。
茂木の本は何冊かブックオフなどでゲットしてあるのだけれど、拾い読みしたかぎりでもまんざらバカじゃない。
中でも短文集で読み易い『やわらか脳』(徳間書店、定価1500円)には、小林秀雄三島由紀夫について言及していてけっこう面白いことを言っている。
小林の特徴を「一人称の思想のダイナミズム」と言い切ったのはお手柄だし、《自分が未踏の仮想の暗闇の中を探索する、その探究者の精神力学に寄り添って小林は文を書いているのだ。》と把握しているのもストライクだ。
茂木は講演記録や対談の音源を聴いて感動しているけれど、話し方が伝説の落語家(?)志ん生(しんしょう)に似ているというのは茂木が指摘するまでもなく、昔からよく言われている。
その小林の話しぶりに似ていたのが石川淳で、飲み屋で(有名な長谷川かな?)誰かが小林のマネをしている声がしたので嫌味を感じて確かめたら、石川淳だったというエピソードもある(共に江戸っ子だから、という受け止め方もある)。
オモシロかったのは、茂木が対談を聴いたら五味康祐中村光夫も「小林の前に置くと痛々しい」という言い方が見事に当たっているからだ。
《五味や中村は、いかにもこざかしく、自分はリスクを負わずにまとめようとしている》というのは対談のみならず、生き方にも通じている点でもあり、茂木の直観は正しいと思う。
また中村に対して、自分たちはモーツァルトも蓄音器で聴いた点では条件が悪かったけれど、《創造する人間に、条件がいいも悪いもないんだよ。》と断言している所に注目しているのもイイね。
同じ所に注目したのが鷲田清一さんで、先日の「折々のことば」(1月29日)で小林の「ゴッホの手紙」から引用して《翻訳文化と指さされようが、底の浅い文化と揶揄されようが、》とパラフレーズして、小林の《ますいと思えば消化不良になる》という言葉を持ち上げている。
茂木は、小林ほどには行かなくても《自分の信じる道へ捨て身で行きたい》と決意を語っているのはリッパながら、カネを信じてはいけないヨと釘を刺しておこう。
ともあれ茂木の決意には、《現代日本人には、自分は安全圏に置いて、冷たい批評を行うやつらばかりが多くないか。》という批判に支えられている。
中村や五味ばかりじゃ仕方ないと言い切っているが、文学史的には中村の後を継いだのが蓮実重彦ではある。
蓮実さん達が小林を目の仇(かたき)にしているのも、そういう事情からでもある。
茂木は「安吾の小林批判」という小文も書いているが、安吾の「教祖の文学」を取り上げて《小林を愛している人にしかできない芸当だ。》という理解の仕方は「見えている」人間の言葉で感心した。
三島についての理解は割愛するけれど、茂木はカネには目がくらむレベルの存在でしかないけれど、モノは「見えている」人間であることは間違いない。
テレビでは時々バカな発言もあるけれど、書いたモノは概ねおススメできるのでブックオフで見かけたらゲットして読む価値があるヨ。