パーヴォ・ヤルヴィ  ニールセン  片山杜秀

N響の常任指揮者になったヤルヴィの素晴らしさは記したとおり(なかなか「合唱付き」の再放送やらないネ)。
朝日新聞の良さの1つに文化欄の充実を上げたけれど、月に1度レコード(今はレコードじゃないけど)新譜の紹介がある。
それに付して毎回小コラムのような記事があって、今回はヤルヴィ指揮のニールセンの交響曲を推薦していてビックリ。
ニールセンはあまり知られてないし、日本ではほとんど演奏されないデンマークの作曲家だけれど、とっても入りやすくて感動できる曲ばかりなのでおススメ!
FM放送を聴きながら録音していた頃(オープンデッキは今ので3台目かな)、ニールセンの第4番だったと思うけど初めて聴いたのにものスゴクつかまれたのを覚えている。
その時の演奏は消去してしまったので誰のものかは不明ながら、ハンス・シュミット指揮の北欧の交響楽団だったかな(シュミットというとイッセルシュテットと混同されて判然しない)。
今はスウェーデンの指揮者であるブロムシュテットN響を振ったものを、第3・5・6番でビデオ録画してあり、2・4番はアメリカの指揮者であるギルバートがN響を振ったのも同様。
一押しの4番はラトル指揮ウィーン・フィルのと本場のサロネン指揮スウェーデン響のをオープン・リールで録音してある(自慢!)。
さて朝日の記事で紹介されているのはヤルヴィ指揮フランクフルト響のニールセン交響曲全集だけれど、《第4番は大噴火的燃焼、第5番の戦慄的暴力、第6番の多重人格的混沌。彼の指揮はまるで乗りに乗った書家。(略)これぞニールセンのビッグバンだ!》という「乗りに乗った」批評!
書いているのは言うまでもなく片山杜秀、だから彼は音楽批評家ではあっても文芸批評家としては失格だと言うのだ!
音楽批評家としては宇野功芳が「乗りに乗った」ことばかり書くので片山が「第二の宇野」として生きる道が残されているけれど、文芸時評としては蓮実重彦小森陽一よりはマシながらも3者共に失格だというのは以前記したので繰り返さない。
今、小森と記してから陽一が出てこないのでボケのせいかと思ったけど、ふだんからルー小森とばかり記憶している弊害でもあると気付いた。
ルーはキャラがそっくりな大柴と共に有害物として抹殺したい存在だけど、ファミリーの皆さんを愛称で呼んでいると本名が出て来なくなるのは、弊害じゃないけど困ることがある。