柳瀬善治の帰国

 タイヘンな能力を持ちながらも台湾で燻(くすぶ)っていた研究者が、日本に戻ってきたので嬉しいかぎり。クスブっていたという表現はボクの受け止め方で、本人は当地で素敵な結婚相手に出会って幸せな毎日を送っていた、というのが実情なのかもしれない。
 広島大学大学院で樫原修氏(ボクの院生の頃から、小林秀雄研究上のライバル)の許で業績を積み、台湾の大学に就職してからが長かったものの、時折帰国して学会で活躍していたので、柳瀬善治の名を知っている人も多かろう。ボクは台湾へ行く前の院生の頃から樫原氏を通して知っていたけど、学会の発表も論文も(関心が大きくズレているせいもあってか)ほとんど理解できなかったものの、柳瀬クンの能力の高さは伝わってきたものだ。少しは興味のある三島由紀夫についての発表を聴いても理解が及ばなかったくらいだから、コイツのやってるのは文学研究じゃないと負け惜しみを呟いていたものだ。彼の著書『三島由紀夫研究  「知的概観的な時代」のザインとゾルレン』(創言社、2010年)を手に取ってもらえば、ボクの言うことが分かってもらえるかもしれない。そもそもザインだのゾルレンだのは、昔三木清などの論に頻出していたもので、死語かと思っていたものだ。
 樫原氏の後任として帰国した挨拶のように、先日「『二十一世紀の小林秀雄』にむけて――近年の研究史を概観しながら」(「国文学攷」平成二十八・三)を送ってくれた。表題からして百パーセント興味が湧かないけれど、三島論よりは分かるだろうと拝読した。何よりも「関谷学説への挑戦のような内容ですが」と一筆認めてあったので、手ごわいイヤな相手ながら挑発に乗らねばならなかった次第。
 副題のとおりで、一貫した論文にはなっていないエッセイのようなものながら、相変わらず論者の能力の高さはシッカリ伝わってくるのでオススメ。「近年の研究史」が玉石混交に摂取されているのは困ったものの(さすがにあまりにヒドイ小林論は無視されているが)、なぜか昭和が終る前後の著書である島弘之氏のものだけが「近年」以前からピックアップされている。作品一つ一つを丁寧に論じた師の樫原氏とは全く研究法が異なるのを自覚しつつ、島氏の立場にシンパシーを覚えているということなのだろうが、本論に不要なくらいに樫原氏(の論文)の名が表記されているのは見っともない限り(台湾流なのかな?)そこまで気を使わなくても、樫原センセイは「弟子」を大切にしてくれるから安心して大丈夫だヨ。
 細部では異論反論を記したくなるものの、小林論者以外にはツマラナイだろうから省く(メンドーだし)。ただ小林秀雄を「二十一世紀」に短絡する発想には(たぶん樫原氏も)、強い違和感を抱いてしまうのは仕方ない。平和な学生時代を過ごした世代が、ジッとしていられないままに未来や政治や事件と研究対象を短絡したがる気持は分からないでもないものの、ベトナム反戦や学園闘争を通過した老人にとっては、この種の短絡は嫌悪感しか湧かない(分かってもらえないだろうけど)。