「若き芸術家の肖像」(ジョイス)  放送大学「世界文学への招待」

ジョイスの「若き芸術家の肖像」をチビチビ読み始めている(丸谷才一の旧訳を海老池俊治訳と対照しながらだけど、丸谷訳の方がジョイスらしくて断然イイ)。
むかし伊藤整との関連の授業で読もうと思いながら果たせなかったけど、退職した今だからこそ読める幸せに浸っているわけだ。
おススメした放送大学「世界文学への招待」の第8回で、パリで活動した文学者・哲学者(ベンヤミン)を特集した中にジョイスヘミングウェイベケット等が出てきたのが1つのキッカケではあるけど、先日の学会での河田氏の発表にこの作品の冒頭が引用されていたからでもある(引用⑪)。
何の傍証として引例されていたのか記憶が定かではないのが残念だけれど、すぐ前の引用⑩がジュネット『物語の詩学――続・物語のディスクール』なので、ジュネットとは異なるミーケ・バルの「焦点化」の例として上げられていたのかもしれない。
いずれにしろ、買い溜めておいた本を読むチャンスは理屈抜きに利用しないと、次の機会が訪れないまま死んじまう(ボケてしまう)かもしれないという危機感に促されているのは確か。
ヘミングウェイも文体に関心をそそられたので数種類ゲットしてあったけれど、パリ時代のことが書かれているというので「日はまたのぼる」(佐伯彰一訳)も読み始めてしまった、オモシロい。
昔から1冊の本を集中して読むことができない性分なので、数冊を並行して読み進めているうちに途中で放置したままの本も数えきれないほどある。
先日まではヒグラシゼミ関連で有島武郎論をいくつか読んでいたけど中途で仕舞って岩野泡鳴に切り換えたばかり。
さかのぼると「ユング自伝」、「オデュッセイヤ」、「万葉集の発明」(品田逸一)、「古事記」、「大政翼賛会前後」(久森久英)などなどキリなく上がるけど、初読が多い中で部分のツマミ読みで済ますのもある。
なんて書いている間にも読んだ方がイイと気付いたので止めるけど、我がままな読書ができるというのはサイコーの悦びだナ、申し訳ないけど。
口惜しかったら、早く定年になれ。