「字のない葉書」論・追補  小説とエッセイ  松本修

たまたま自家にあったのでゼミ直前に読んだ向田邦子「父の詫び状」というエッセイとの関連にも、ゼミで一言しておいた。
先行研究ではどの程度問題にしているのかいないのかは不明ながら、課題としては皆さんが想像する以上に大きい。
「字のない葉書」と同様の父親像が語られているが(向田作品に共通しているとのこと)、小説とエッセイとの異同の問題だ。
参加できなかった仲間から、テキストを読んだ感想として「小説よりもエッセイだと思う」というのがあったとおり、「父の詫び状」との違いは不透明だ。
簡略に言えば小説=虚構、エッセイ=事実ということになろうが、簡略に言わなければどう差異化し得るのか、十分検討に値する。
紹介しておいたのは開高健の傑作掌編「玉砕ける」(文春文庫『ロマネ・コンティ・一九三五年』収録)には同内容のエッセイがあり、ジャンルの差異という問題を松本修氏が『宇大論究』の第2号辺りで論じているはずだなので参考にされたい。
宇都宮大学在職中に、院生だった松本氏(玉川大学教授)と共に議論した成果が熟考されている論だと記憶する。

いつも一回り大きく問題を捉えて見せてくれるヒッキー先生から、スピヴァクの概念を援用したテクスト理解が示されたけれど、詳細はこれも各自の課題としたい。
1時間半ほど眠ってから脳を再起動したのだけれど、脳がまた睡眠を要求しているのでオヤスミなさい!