やっぱり選挙より占拠かな  オバカな都民は小池を選ぶ

小池ゆりこはチョッと大きな粒の泡沫候補かと思っていたら、意外に有力なのだそうで「暗澹」としている。
暗澹(あんたん)が括弧付きなのは、敬愛する学大元同僚の先生のメールからの引用だから。
アメリカのトランプやフィリピンの何とか(ボクも名前を知らない)や小池ゆりこのような「大衆主義」(カッコは同前、ポピュリズムのこと)が横行する時代には「暗澹」たる思いに陥るという文脈だった。
ちょうど古典的名著エーリッッヒ・フロム「自由からの逃走」の第6章「ナチズムの心理」を読んでいたところなので(一読をおススメ!)、今の世界にはナチやファシズムが権力を奪取した頃と同じ雰囲気を感じる旨の返信をしたところ。
いつも遅ればせに読んでいる新聞記事だけれど、先ほど7月13日の高橋源一郎のコラムを読んでいたら、若い頃はどんな選挙にも行かなかったことが回想されていたので苦笑が出た。
高橋は選挙に行かなかった「はっきりした答え」が思い浮かばないと書いているけど、ボク(等)には選挙に関与してしまうとその結果に従うような圧力を感じていたので、選挙自体を拒否するという「はっきりした」理由があった。
だから当時何かの選挙の際に、沖縄の人達が島を上げて投票拒否した心情にはとても共感できた。
子供が育ってからはその手前イヤイヤ選挙に行っていたけれど、今では抵抗なく投票所に行っている。
といってもそれ程の期待感を持っているわけではないし、実のとろこ興味も無い点では昔と変わりない。
もちろん定時制高校の卒業生から公明党支援を依頼する電話をもらっても、決して投票には反映させない(ゴメン!)。
公明党都知事選では増田氏を支持していて、増田氏が小池ゆりこのような自分の(目立つ)ことしか考えていないヤカラとは異なることは伝わっているけれど、自民党が支持していると聞くと信用できなくなる。
舛添のみならず石原慎太郎やその後のチンケな猪瀬直樹に対する嫌悪と不信用からだけど、自民党から離党しないでそれを売り物にして票かせぎしている小池ゆりこも絶対に支持できない。
鳥越氏をガンからの「病み上がり」と決めつけるような小池には、弱者に対するデリカシーが決定的に欠落しているのみならず、不純で不潔感あふれる小池が選ばれるようなことになるかもしれないと考えると、舛添が当選した時の再現のようで「暗澹」たる気持になるというもの(舛添があそこまでバカとは思わなかったけれど)。
舛添を選んだオバカな都民は、性懲りもなくまた小池を選ぶのだろうか、イヤな時代だ。
戦前は軍部や政治屋にダマされたとカマトトぶり、侵略戦争を支持した己の責任を逃れたがる日本国民は恥知らずと言わざるをえないけれど、猪瀬や舛添に懲りずにまた小池に利用されてしまうのだろうか。
知名度だけで投票してしまう都民・国民のバカさ加減を思うと、ファッショを支えた戦前の日本人の無知・無恥ぶりが想起され、やっぱり選挙より占拠だと思ってしまう。
占拠といっても昔の学生たちがやったバリケード封鎖に限らず、アメリカや香港の広場や公道占拠、あるいはシールズを始めとする現代の若者たちがやった国会議事堂前占拠もイメージしているので、誤解なきように。
明治初期の新体詩運動においては、5音や7音のもならず8音のリズムも追求されたということを知ってますか?
オバカな都民は小池を選ぶ、これ8・8音のリズムだけどけっこう行けてるでしょ。
常に遊び心を忘れないイチローでした。