原爆投下・アメリカの責任  トルーマンは馬鹿だったけど・・・  ヘンリー・ウォレス(信頼できるアメリカ人)

先ほどブログを更新しながら見ていたテレビ番組は、NHKスペシャル《米大統領「決断なき原爆投下」〜》というものでその内容にビックリ!(再放送だったけど、初回放送はいつだったのだろう?)
在職中から新聞を読む余裕も無いほどだったので、特に日曜の書評欄は数年前からのものが溜まっている(毎週書評欄が載るせいか取り上げるには無理がある本も多い反面、良書が見逃されているのも多い)。
今日は月一の内科に薬をもらいに行くので、5月22日の書評欄を持参して電車内と病院の待合室で読んでいたら、「ひもとく」の欄に「オバマ大統領と広島」の表題で数冊が紹介されていたけど、何という偶然!
その内容にも驚かされたのは、『アイゼンハワー回顧録』(みすず書房・品切れ)には《日本はすでに敗れているのだから原爆は全く不要だ》という記述があるというのだ。
元大統領でさえそう認識していたのに、原爆投下した爆撃機エノラ・ゲイ(この名は覚えて欲しい)の展示会の計画が退役軍人団体(アメリカ的馬鹿の代表)などの反対で本来の展示が実現できなかったのみならず、会場となったスミソニアン博物館長だったマーティン・ハーウィットが辞任に追い込まれたという。
この事件は知っていたけれど、ハーウィット自身が『拒絶された原爆展 歴史のなかの「エノラ・ゲイ」』(みすず書房)という著書が刊行されているとは知らなかった。
オバマの広島訪問はそうした文脈の中で実現したものだったけれど、今はそれに触れないで今見たテレビ番組の話をしておきたい。
フランクリン・ルーズベルトが死去してしまったために、バカで指導力と判断力に欠けた副大統領だったトルーマンが大統領に昇格してしまったことがその後の世界の悲劇、中でも原爆投下がなされてしまったことは知っておくべきだ。
クリントンと最後まで競ったサンダースを思わせるとボクが勝手に思っている)聡明で判断力とデリカシーのあるヘンリー・ウォレスが(副)大統領になっていれば、広島や長崎の悲劇は回避されたとボクは思っている。
それはともあれトルーマンが大統領になるとは最悪だというのは、独りよがりな正義をホンキで実行するようなバカさ加減ではアメリカ人の典型のような人物だからだ。
ロシアで言えば間抜けなメドヴェージェフ(現首相)のようなイメージで、根っからの極悪人の殺人鬼プーチンとは異なる。
ともあれトルーマンはそのデリカシーの無さでは正にアメリカ人で、だからこそ原爆投下を平然と許可したものと思っていた。
その後のアメリカが平然と北ベトナムアフガニスタンや中東諸国を爆撃し続けたように。
ところが今日の番組で明かされたトルーマン本人の心境は、人道的な観点から「責任」を感じていたし、広島の惨劇を知ってからは原爆投下を避ける気持になっていたものの、グズグズしているうちに軍部(グローブス准将中心)の意向で半日後には長崎に投下されてしまったというのだからザンネン・ムネン・やり方なし!
許し難いバカなアメリカ人として軽蔑しきっていたトルーマンにもデリカシーがあったと知り、認識を新たにしたのは確か。
見た目ほど馬鹿じゃなかったというわけだけれど、やっぱりウォレスが(副)大統領になっていればその後のアメリカの悪行に歯止めがかかったと考えているのはボクだけだろうか?
クリントンは性別では女性ながら、小池百合子を始めとする自民党の女性議員と同様で女性性を感じさせるものが無いのと同様で、自分だけが目立ちたがるばかりで他者へのデリカシーが欠如していて信用できない。
小池やクリントンも言葉の上だけでは弱者に同情するような発言はするものの、サンダースのように本気で弱者のための政策を実現する気持が伝わってこない。
・・・話が広がり過ぎてキリが無いのでこの辺で。