三島由紀夫「剣」

「金無垢」の三島ファンであるマキさんの発表だけに、主人公・国分次郎の死を中心に論じるとしながらも《必然として死なねばならなかった》として、潔癖にその理由を問うことを禁じた姿勢はリッパ。
ボクなりの言い方をすれば、漱石虞美人草」の藤尾と同様に次郎も《物語によって殺された》ということになる。
もちろん自然主義リアリズミに慣れたリーチ君や留学生のリュー君には受け入れがたいようだったし、「殉教」や「孔雀」を例にして三島のテクストはリアリズム・非リアリズムの両様に読めると論じたボクにも賛同できなかった(『現代文学史研究』第二集)。
リアリズミで読めば、次郎も藤尾も憤死ということにはなるだろう。
しかし次郎ならびに三島の「純粋」を断固支持する以上、マキさんの姿勢は当然ながらも、(三島)研究として一面的にならないかと危惧してしまう。
ファンの心情で作家との距離を取れないままだと、キチッとした研究にはなりにくいので、その点は自覚しておいてもらいたいものだ。

来週は徳田秋声「絶縁」(「縁きり」改題)をリーチ君が発表します。