定年退職の際にも、誰しもがやるような催しは避ける気持が強かったので、肩肘張った「最終講演」ではないおしゃべりの「最終口演」を企図した次第、体調不良で思うように運ばなかったのはザンネンだったけど(宇都宮大学では体調良好でまずまず)。
もう1つ、記念出版というので「弟子」の論文集やご自分の論文集を出す人もいるようだけれど、優秀な卒業生たちが『学芸国語国文学』の記念号に論文を寄せてくれてカンゲキしたので満足だった。
ご自分の論文集も、この時とばかり玉石混交の大部のものも見かけるが、判断力を失って老醜をさらしている場合のもあって自制の気持が強まったものである。
実生活を排除した作家論『小林秀雄への試み――〈関係〉の飢えをめぐって』と種々のアプローチで論じた作品論繍『シドク 漱石から太宰まで』の2冊で十分、という達成感が何よりも3冊目を急がせなかったというのが第一かな。
別の理由としては、その頃はまだ自分の中で坂口安吾研究の意欲が高揚していたこともあり、安吾研究が一段落したらそれらの論考も吸収して、生涯最後の3冊目を出そうという気持も強かった。
定年退職すると、それまで果たせなかったこと、ボクの場合は読書や研究が無制限にできそうな気がするものだとは察していたものの、実際にはその1割も実現できてない己の能力にめげることはないという事情は、体験してみないと納得できないだろう。
2ケ月に1度の釣り部は別にしても、月に1度のヒグラシゼミで教育と研究のバランスをとりながら(ボクにはどちらも不可欠で「研究一筋」に自己完結するのは無理)充実した日々を送っていたものの、意欲した安吾作品が思うように読めないのだから論文など書けるはずもない。
あっという間に3年過ぎた時には、太宰や三島についての論文は書いたものの安吾論はゼロ、どころか念願の「吹雪物語」は苦労して通読できたものの、その他の気になる作品でさえ殆ど読めないまま今日に至っている。
4年目の去年からは法政大大学院の授業も担当していて(退職時に若い研究者の可能性を奪わないように決め、学大の特任教員もお断わりしたものの、大学院だと若手には荷が重いと考えて受諾)、ナマの学生との付き合いが始まるとツイ深入りしてしまうのは昔からのナライ。
お蔭で去年は未読だった安部公房と徳田秋声の作品がけっこう読めたし(三島研究の院生もいたけど、前記2人よりは読んでいた)、新しい刺激ももらって実に楽しかった(これだから教員稼業は止められない!)。
今年度も石川淳を久々に読む機会を与えられただけでなく、龍胆寺雄までも読む機会を得てジンセイで「思い残す」部分が減じた思い。
石川淳は昭和文学会の会務委員を引き受けてもらった関口雄士クンなのだけれど、彼からは古山高麗雄の再読・再評価の機会ももらって有り難いかぎり。
古山は芥川賞受賞作品を読んだだけで放置していた作家なのだけれど、その他の昨品への案内をしてもらって読み始めたものだ。
同じことは清岡卓行にも言えて、「アカシアの大連」を読んでハラを立てて小説をバカにするナと思い、『群像』だったかで「フルートとオーボエ」という表題を見た時はフザケルな! と面罵してやりたかったものだ(もちろん未読)。
ところが何と留学生(中国人)が清岡の小説研究をやっていて(エライ!)、その後の清岡作品について発表するというので「アカシアの大連」を再読してみたら、けっこう読むに耐えるので己の未熟さを深くハンセイした次第。
とにかく楽しく充実している2年目の非常勤を語るのが目的ではなく、あくまでも前振りだったのだけれど、いつもの調子で前振りが長くなりすぎたので、本題の3冊目の話は姿勢を正して書き直そう。