中学生の自殺事件  生徒側にも問題があるケース  教員の指導が委縮しないように

選挙騒ぎの前に、福井だったかの中学生が教員に叱られて自殺した事件がけっこうメディアでも問題にされていた。
昼時に朝飯を摂るのが常なんだけど、気晴らしにテレビを見る番組はTBSの「ひるおび」が多いものの、時々長時間にわたって天気の解説をすることがあってものすごくツマラナイ。
BSプレミアムで面白い番組をやってないと、仕方なくフジテレビの「バイキング」にすることもあるけれど、同じフジの「ワイドナショー」と同じく芸能人と軽めのインテリのアホ発言に耐えなければならない。
それでもMCが松本人志とは違って坂上忍には《知性》(批判力)があるので、問題の核心を外してないという印象を受けた。
先日たまたま見たらこの自殺問題を取り上げていたので、事件の詳しい事情を知ることができた。
教員側の責任は否定できないものの、生徒の方にも問題があったということを初めて知り、スルーしていたこの事件を改めて考えさせられた。
生徒の側にも問題があったからといって、教員側の責任が無くなるわけでないながら、一方的に教員が非難されるだけでは、今後の教育・指導が制限されてしまうことになる。
東京学芸大学に在職中に同じ国語科の同僚が犯した留学生に対するセクハラ・アカハラを追及し、事件をモミ消そうをした村松泰子学長・執行部を激しく追及したボクが、(権力を持つ側の)教員の側を弁護しつつ(被害者である)生徒の側の問題点を取り上げるのは一貫性に欠けるように見えるかもしれない。
しかしすべての物事の善悪はゼロと100に分けられるわけではないにも拘らず、今回の事件ではボクも「バイキング」を見るまで知らなかったように、生徒側が普通の生徒ではなかったのに全部が教員の罪にされてしまった感があった。
個人的なことを取り上げるのは控えるべきであろうが、「バイキング」で明らかにされたのは自殺した生徒が学習障害児だと考えられることを無視しては、同じような事件が再発するのを止めることはできないだろう。
コメンテイターの「そのまんまひがし」が言う通り(よく勉強している)「障害」と言う言葉は他の言い方にすべきであるものの、生徒には最近特に多いアスペルガー症候群が疑われていたという。
「障害」と言ってしまうと病気のように聞こえてしまうが病気ではないながら、父兄は医者に診断させることを歓迎しないので、アスペルガーなどの症状を表す生徒がいても教員がそれなりの配慮ができなくなる。
今回の事件も祖母から「傷つきやすい子だかから気をつけてもらいたい」という要望があったそうではあるものの、医者の診断による裏付けがなされていなかったこともあり、教員の側に特別な配慮が欠けていたのは事件の報告の通り。
(向いているとは思えない)生徒会長になってみたり、くり返し宿題を怠ったり、土下座をしようとしたり、いきなり自殺にまで飛躍する行動はフツーの生徒のものとも考えにくい。
生徒の側の問題点をスルーしたまま、一方的に教員側を断罪していたら、すべての教員が今後の指導で萎縮してしまうことを危惧せざるをえない。
福井の事件より少し前には、生徒が教壇で教員に蹴りを入れているシーンが放映されたことも想起してもらいたい。
ボクの仲間(学大卒業生)にも暴力団ともつながっている生徒の言動によって、教員としての熱意を奪われて転職した人も現にいる。
そのような最悪の場合でないにしろ、生徒の側に問題・責任がある事例が多々あるのは確かだ。
メディアも世間もゼロか100かの発想で、一方的に教員側を非難することは短絡だということをご理解いただきたいものだ。