高橋久子・忠彦夫妻の退職記念パーティ  ジャズ

このところ出掛ける日が続いて書きとめておきたいことがあるのに、その余裕がないまま過ぎている。
まずは一昨日のことから。


タカチュウ(夫君)の定年退職と一緒にヒサコセンセイも退職するのは誰よりも早く(?)知らされていたけれど、お2人の仲の良さを知る者にはナルホドだネ。
最終講義も一緒にやるという連絡は他の人と同じ頃にもらったけれど、午前中だというので遠慮して午後3時からのパーティに全力を尽くすことにした。
とはいえジャズの生演奏を聴きながらのパーティというので、ジャズ(と演歌)は聴かないのでソソラレない気持は正直にお2人には告げてあった。
そもそもご夫妻そろってジャズという顔をしていないのに、何故ジャズなどをBGMに使うのか不思議だったけど、山岸笙子というジャズ・ピアニストが何とヒサコセンセイの中学(?)の同窓生という縁で前から夫妻で聴きに行っていたという仲だとのこと。
ジャズ喫茶店らしい会場なので広くはない所に80名(と聞いた)もの参加者で盛大だったけど、喫茶店らしく食べる物が(レストランの)期待を裏切って貧相なのは残念至極。
前日は法事で前橋まで行き、法事後の食事が美味のはずの「とり平」ながらトリも天ぷらも冷え切って美味くなかったので、翌日のパーティに期待していたので落胆した次第。
関心が無い者にとっては演奏がウルサイのでそもそも話がしにくいし(近くの席の千田さんと前嶋さんは楽しそうにシャベリ通していたようだったけど)、隣りが大井田さんだったので気楽だったのものの、彼は学生時代に一時期ジャズ部に入っていたと言うので話しかけにくかったナ。
でも大井田少年はトランペット片手に入部したものの、周囲のレベルが高すぎてすぐに辞めたとのこと(やっぱりそうだろ!)、確かに高橋夫妻同様ジャズという顔をしてないもンね。
ジャズに興味のないボクでも知っているキース・ジャレットの「ケルン・コンサート」(ピアノ・ソロ)も知らないというのだから、実は大井田さんは生演奏も聴いているフリだったのだろネ。
このCDはボクの退職記念に津久井クンがマイルス・デービスなどのCDと一緒にくれたのでたまには聴いているけど、キースやマイルス以外は聴いてもツマラナイので生演奏はジャマなだけだったナ。
もちろんご夫妻を敬愛しているので静かに耐えていたけれど、手紙をもらったばかりで返信していなかったナマの平沢恵子さんを目の前にして話が自由にできなかったのは残念だったヨ。
12名の挨拶だったそうだけれど、テレビでよく見る茶道研究の熊倉功夫(いさお)が現れたのはビックリしたものの、タカチュウが茶(の哲学)の専門家だから付き合いのあるのも当然だった。
その他英文学講座にいた佐久間さんは懐かしかったし、ウッチー(内田道雄)先生の相変わらずの締まらない話の面白さと、大井田さんのジャズにまつわる打ち明け話は笑えたものの、他の知らない人の概ねツマラナイ話は閉口だったナ。
高給スーパーをもじって言えば、正常石井(正己)がいなかった(異常中山(昌久)がいなかったのは当然としても)のも残念だったナ、ふだんは正常なのに酔うとオモシロく(ダラしなく)なる人だから。
ヒサコセンセイがクレイ爺・中山(と北沢某)にイジメられた話が出なかったのは、パーティの雰囲気を壊さずに済んで良かったネ。
それにしても在職中クレイ爺のセクハラ・アカハラなどから留学生を守るため、一緒にに闘ったヒサコセンセイがあれほど芯の強い人とは思わなかったナ、タカチュウの支えがあっての上だったけど。
ともあれお2人に心底から「お疲れさま!」と言いたいネ。


帰りの電車では国立までウッチー先生を独占して楽しく話せたのが一番の収穫。
前日の法事の帰りに出かけられなくなった叔母(母の妹で兄弟姉妹唯一の生き残り)を訪れて昔話を聴けたのも楽しい収穫だったけど、加齢の症状なのか自分が生まれる以前の親類の話とか、大学入学以前の先輩の話が聴きたくてしかたない今日この頃なんだナ。
きっかけの一つに、退職時にアンケートしたらボク自身の話を望まれたので、「口演」のため生前にさかのぼって調べ始めたら面白くなったというのがあると思う。
敗戦の10日ほど前に前橋空襲で殺された父側の叔父(とはいえ享年15歳の)を始め、日常の生活では隠されている《戦争》の傷跡が意外に多いのは痛ましくも不愉快でもあるヨ。