松竹に梅が続かず木瓜が付く  田中優子・法大総長  ABCD

昨日、いつものようにすぐ近くにあるコープ(生協)に買い物に行ったら、民家の植木の中にオレンジ色の花が咲いているのを見かけた。
この前、法事で前橋に行った際に会って来た叔母(母の妹)に、その名を教えてもらったことのあるボケ(木瓜)の花だ。
いつだったか、この花を前に「イチロー、この花なんだか知ってるか? ボケというのだヨ。」と教えてくれたものだ。
もちろん叔母の言葉の言外に、「オマエのような」という意味が含まれていたのは伝わってきた。
仲間の皆さんには説明の要は無いだろうけど、他人からするとボクは極めてからかいやすい体質(?)のようなのだナ。
セクハラのクレイ爺みたいに、陰で皆からバカにされる人は多いだろうけど、ボクの場合は面と向かってからかわれるのだネ。
初対面の人からも、いきなりからかわれることもあるけど、全然イヤな気持にならない。
ヒトとして軽い(厳密に言えば、他者の意識内でボクの存在が軽く思われる)からハードルが低く気軽にからかえるのだろうが、ボクにとってはそれがとても快感なので互いに止められない、ということなのだろう。


昨日ボケの花が咲いているのを見つけた、春が近づいた兆候だネ、と前振りとして言うつもりだけだったのに、つい長くなってしまった(ので1日経ってしまった)。
今日、学大に寄った途中でもやはりボケが咲いていた、国分寺から歩いて早稲田高校から離れて小道を学大の正門前の道路に出る曲がり角の民家に毎年咲くけれど、気付く人はいないようだ。
魅力のある花じゃないからネ、人間で言えばブスかな。
在職時にハラスメント教員の犯罪をスルーしようとした村松泰子・大竹美登利正副学長を批判した年賀状で、
 松竹に梅が続かず木瓜(ボケ)が付く
という川柳(?)を掲げたのだけれど、もちろん村「松」と大「竹」と来たら「梅」であるものの、この無能な教員どもは「ボケ」と呼ぶのが相応しいという意味だネ。
だからボケの花を見ると、すぐに村松どものヤカラ(執行部)が想起されるのだナ。
村松だけならアカデミックなブスでチビでデブだから、頭韻をとればABCDだネ、CはCHIBIの頭文字。
前にも言ったと思うけど、法政大に行くようになったので田中優子総長が意識されるようになっている。
村松どもとは真逆で正義の人、安倍政権の軍学共同方針に真っ向から反対してしまうエライ人、最近は日曜TBSの番組「サンデー・モーニング」にも復帰しているようなので(総長になる昔のレギュラー・コメンテイター)、この番組がより楽しくなったのでおススメです。

前振りを続けているうちに、何を書こうと思って書き始めたのか忘れてしまったので、この辺で。
田中優子さんのお父さんがまたエライ人で、経済的に困難なので文学研究を諦めようとしていた田中さんの背中を押して、研究の道を選ばせたという新聞記事を紹介しようとして書き始めたのだったかナ。