日本人の英語の発音を恥ずべきでない  マラソン・競歩は札幌で  小池百合子が困るのは楽しいかぎり

 今、メールのチェックをしてこれからブログの更新をするのだけど、お得意の放送大学はシリーズ「日本の近代化を知る7章」というのを聞きながらだヨ(聴きながらじゃないネ、集中してないから)。スゴイ表題だけど、内容は高校の社会科の教科書に書かれてあるような内容だネ。ただこれを英語で話すところがまるで他の講義とは異なっているネ。なぜか講師全員が日本人なので、番組の意図が図りがたいのだけれど、あるいはこの程度の発音でも通じるから堂々と英語で話しなさい、というメッセージが含まれているのかも。とにかく単語のアクセントはメチャクチャな感じだし、イントネーションがデタラメで典型的な棒読みだから、とても英語とは思えず日本語のような感じだネ。

 今日は萱島信子という国際協力機構理事という肩書きの人が講義しているのだけど、こんな発音でも国際何とかいう所で仕事が務まっているところを見せようというのかナ? 今日は第5章なので残りの2人はまだ聞けないけど、1人(経済界の人だったかな)を除くとそろって日本語英語(日本人特有の棒読み英語)だったネ。最初の章だったか、東大の法学部教授で安倍政権のブレインと聞いたことのある北岡伸一がこの日本語英語だったので、とても驚きつつも苦笑を禁じえなかったナ。政治的立場が信頼できないイメージなのに、その上この英語の発音ではいっそうバカにしてしまう感じだったネ。

 東大教授なのにこんな英語を話しているとは情けない、と思っていたら若い世代の五百旗頭薫さん(他の放送大学の講義は面白いことは以前書いた)まで同じような調子だったのでガッカリしたものだ。北岡伸一が昔の人間なので発音がヒドイのかと思っていたら、若い五百旗頭さんまで似たようなものなのだから、教訓としてはヒドイ発音・イントネーションでも堂々と英語を話すべし! ということのようだ。

 昔、サルトルが来日してテレビに出た時、加藤周一と大学教授がインタビューしたものの、殆ど加藤がしゃべって大学教授は黙りがちだったのを覚えている。後でルソー研究者の小林善彦先生が、ゼミの授業で「加藤さんは発音がスゴク下手なのに、かまわずしゃべりまくったところがエライ。大学教授の方はダメだった。」という意味のことをおっしゃったので、ナルホドそういうものかと納得したものだった。それを思えば、通じればいいのであって発音など気にするに及ばない、ということだヨ。(発音にだけは自信のあるボクが過剰に意識し過ぎていたらしい。)

 

 オリンピックがマラソン競歩の会場をめぐってもめていて、東京都知事の小池が不快な思いを強いられているようなのは痛快だネ(元々ボクは被災地隠しのオリンピックには反対だからネ)。「選手本位」からすれば当然札幌説が支持されるべきで、日本人選手が東京の方が有利だというのは日本のエゴでしかない、ということが忘れられているようだ。自分が目立つことだけをモットーに政界を渡り歩いてきた、小池百合子ほど不潔な存在はない。小池死すべしと思うのは、ジコチュウを通したお蔭で野党を解体して力を殺いだ張本人だからだ。小池の得意な日和見主義で小池にくっ付いて行った民主党員も恥を知るべきながら、非を知ったなら意地を張らずにすぐにも立憲に合流して野党の力を合わせないと、安倍晋三の暴走を止めることはできないだろう(野党のこの2つは支持母体の差異が合流を阻んでいるようだけど)。

 英語の話がオリンピックや政治の話になってしまったけど、来年オリンピックに訪れる外国人に対したら、発音などを気にせず積極的に日本語英語で話し掛けて上げるべきだということかな。