【読む】鷲田清一「折々のことば」(朝日新聞に毎日連載のコラム)

 「読む」というより「読まない」と言うべきだネ。再出発してからは(一時期休止していた)読むのがツライ感じが先行して読んでないのだナ。前にも書いたけど、以前の大岡信の時は詩歌限定だから結果オーライだったけど、限定の無い鷲田さんの場合は範囲が広すぎて、一見楽なようでいながらも実際はかなりキツイ作業だと察せられる。一般的にも限定というものはマイナスのように見えながらも、強みに転じると言えるだろう。無制限というのは限りなく自由ではあるものの、自由はかえって不自由になるという反語が成り立つのだネ。「何でもイイよ」と言われた時の困惑を想起すれば分かりやすいかな。あるいは自由律俳句が山頭火や放哉の(作品の一部)以外、成功しえなかったし広がりを持たなかったというのも例になるかもしれない。

 鷲田さんの哲学者としてのレベルの高さは周知のことであり、ファッションにまで言及する守備範囲の広さも異例だろうし、火野正平の「人生、下り坂サイコー!」(自転車で全国を回る番組で正平が洩らす言葉)や身近な人の言葉を拾い上げるアイデアも鷲田さんならではだけど、取り上げる「ことば」を探すタイヘンさが目に見えるようになってからは「読まない」ようになってしまった。もちろん愛読している人に止めろなどと言う気も必要もないので、まだ楽しめる人は続ければイイだけの話だネ。