荒井さんの著書については出るたびに紹介してきたし(自分は読んでないので荒井さんに叱られたこともある)、上記の著書が朝日新聞の書評欄に取り上げられたり・朝日新聞に荒井さんが毎週コラムを連載していることも紹介したネ。今回再度取り上げたのは、朝日(5月11日)に本書が「第15回わたくし、つまりNOBODY賞」というのを受賞という記事が載っていたからだ。初耳の賞だけど故・池田晶子さんを記念したものだそうだ。池田晶子という人の本は、話題になった時に本屋で立ち読みして読むに価しない「(中身が)薄い」書だと判断したのを覚えている。その後、中学生の教科書にその文章が採られていることを知ったけど、そのレベルのもの書きなのだと評価している。
しかし荒井さんの本書は池田さんの本とは比較にならないくらい「厚い」ものだと確信している。読んでないのにそう言えるのは、荒井さんは学大の学部生の頃から傑出した理解力を示していて、ボクのみならず国語科教員全体から高く評価されていたからだ。荒井さんはその後東京大学の大学院に進学し、博士号を取得したものを書籍化したのが『(ハンセン病療養所の自己表現史)隔離の文学』(書籍アルス)だ。ボクが荒井さんの論文や本を読まないのは、(以前にも書いたけど)最初からでき上がっていて手の入れようがないからだ。昔から(今でも)他大学の学生の原稿でも頼まれれば手を入れてきたけど、荒井さんはその手の「指導」無しに発表できる書き手だったのだネ。
もう1つ読まない理由は、ハンセン病に限らず(神経質な?)ボクは病理モノを読めないからなのだネ。堀辰雄はじめ結核文学も読むに耐えないし、尾崎翠の「第七官界彷徨」のようなスカトロジーものも読んでいられないのだナ。排泄物は自分のものでも耐えがたいほどの人間なのだネ、だから最近の尿漏れには往生してるヨ。
でも1ケ月ほど前に、書庫でもあるロフトに仕舞い込んであった『隔離の文学』を探し出してきて、仕事机の傍の本棚に並べてある。今度受賞した本がこの博士論文を思い出させてくれたからだネ。この書にはハンセン病文学を代表する北条民雄「いのちの初夜」(や小川正子「小島の春」)が論じられているからだ。これも前に書いたけど、そもそも荒井さんが「隔離の文学」に関心を抱いたのは、ボクが学大で小林秀雄「作家の顔」(新潮文庫)などをテキストにして授業を聴いたからなのだネ。小林が文芸時評で「いのちの初夜」を取りあげていたので、荒井さんが作品を読んで興味を持ったのが最初だと聞いた。そろそろその「責任」をとろうと意を決して荒井論を読む気になったのだネ。1ケ月ほど経ったものの、まだ読んでないけどネ。
「まとまらない言葉を生きる」は「隔離の文学」とは異なり、内容も文章も平明に書かれているようだから安心して手にとってもらいたい。
同じような感じのする本が、朝日新聞5月13日に一面を使って紹介されていた。サヘル・ローズの『言葉の花束 困難を乗り切るための《自分育て》』(講談社)だ。サヘルについても以前記したことがあるけど、その時は主に彼女の美貌についてだったと思う。でも今回は本書に語られていることを知って欲しいからだネ。サヘルはイラン・イラク戦争で孤児となり、孤児院にいた時に血縁もない女性に引き取られてその後は縁あって日本での生活を始めたものの、公園で寝泊まりしながら飢えに耐えていた母子に対し、さまざまな日本人が「おせっかい」をして支えてくれたことが書かれているそうだ。それを念頭にサヘルは恵まれない人に対する「おせっかい」を心がけているとのこと。
「第16回わたくし、つまりNOBODY賞」はサヘルに授賞すべきだネ。