【読む】荒井裕樹さんのコラム  「開かれた言葉」

 朝日新聞の文化欄の連載コラムは、木曜日に荒井裕樹さんが担当しているのを愛読していることはすでに報せたネ。学大の学部を出てから東大博士課程を修了して、今は二松学舎大学で教壇に立っていて新聞記事の末尾には「障害者文化論研究者」と付されている。26日も興味深かったのだけど、19日の記事が忘れがたかった。

 院生の頃に「なぜ学術論文は難解な言葉で書かねばならないのか?」と〈真剣に〉悩んだという。〈真剣に〉というのがいかにも荒井さんらしい。そこで自分が書いた論文を協力してもらった障害者などに読んでもらいので、平易な言葉で書いて学会誌に投稿したら採用されなかったという。20代だったその時は論旨は変えずに文体を堅く書き直して投稿し直したら、スムースに掲載されたというのも荒井さんらしいネ。

 今では「文章にはそれぞれ相応しい体裁がある」という認識に達しているけれど、それでも「開かれた言葉」で学術を語りたいと思っているとのこと。何だか強く共感できたので紹介したのだけど、ボクの場合は最初の本(小林秀雄論)を出して両親に渡した時、すごく深い溝を感じてとても空しいような淋しさを感じたのを忘れないのだナ。

 母は恵まれた家の長女として育ち女学校を出たのだけれど、親父は父親が40代で亡くなってしまったので長男として弟妹5人を養うために働き続け、「オレは小学校しか出ていないから分数が分からない」と言うのを自慢のように語っていたものだ。その両親に小林秀雄の研究書など伝わりようがなかったけど、そろって喜んでくれているのは痛く分かったネ。家族を支え続けた父にはかなわないという気持が、ふだん以上に強く感じられた記憶もあるヨ。

 ボクの場合は荒井さんと違い、早くに親たち(専門外の人たち)には理解してもらえないと断念したけどネ。でも最後の著書『シドクⅡ』では専門外の読者にも伝わることを願ったものの、(近代文学研究者にとっても)著書が要求する読書量が多すぎて上手くいかなかったのは心残りだネ。でも一部の人には確かに届いたという手応えが得られたので、出した甲斐があったと思っているヨ。