【近況】奥田勲さん、ご健在!  元宇都宮大学教授

 今日(1日)昼間Eテレの「こころの時代」が明恵上人を特集していたので見ていたら、後半明恵が自身の夢を書きとめた「夢記(ゆめのき)」に焦点が当てられ、「夢記」研究グループの活動が紹介されている中で中心人物の老人が出てきた。それが奥田勲さんだったので正直ビックリしたヨ。奥田さんはボクが宇都宮大学在職中の先輩同僚で、もっと言えば宇大が近代文学専門の教員を募集した時に奥田さんの恩師である秋山虔先生に推薦依頼をしたら、秋山先生がボクを三好行雄師に打診してくれたのだネ。

 お蔭で7年間の都立高校定時制の勤務を終えて大学に赴任することになったわけだけど、だいぶ後で教員だけの野球チームの主将だった横島さん(故人)が教えてくれたのは、宇大に提出したボクの教養部時代の成績があまりにヒドイので奥田さんがマジ心配していたということ。ボク(ら同級生の全共闘)はストライキ続行を主張して進級試験を拒否したため、(69年は東大入試が中止されたので)2学年下の70年入学の学年に落とされたくらいだから、教養部の授業などハナからバカにしていて授業も休みがちであり、試験勉強もしなかったものだ(とりわけボクはヤル気がなかったので、教養部に4年いても取り残した単位を専門課程に進んでからの7年目の卒業直前まで取れなかったヨ)。

 そんな次第だから、教養部の成績がオール「優」とウワサされた奥田さんが心配したのも当然だったわけだネ(ボクは「不可」が10ケ以上あったと思う)。奥田さんの心配をよそに宇大ではすぐに人気の教員となって、教養部の成績などアテにならないことを実証したのだネ。奥田さんも秋山先生に、「イイ人を紹介してくれてありがたい」くらいの感謝の念を伝えたのじゃないかと勝手に思っているヨ(笑)。

 

 こうしてボクは宇大の10年間、楽しく充実した時間を過ごすことができたわけだけど、部活を中心に今でも宇大卒の仲間との付き合いが続いているのは吾がジンセイの最高の悦びの一つだネ。そんな時に奥田さんの生きている姿を見ることができてメチャ嬉しかったネ。奥田さんは宇大勤務の頃も明恵がいた高山寺にこもって文献研究を続けていたのだから番組に登場しても不思議ないものの、80代後半であろうお歳ながらも脳はシッカリしていて明快なご意見を述べていたので安心したヨ。

 奥田さんの理解できない点は、宇大を辞してからだいぶ長い間アメリカ(ニューヨークかな?)に渡って研究していたことだ。ボクは総じてバカなアメリカ人を評価してないし、歴史の無いアメリカなどには絶対に行きたくないと思い続けているからネ。奥田さんは単身赴任して快適な生活をエンジョイしていると言っていたけど、研究だけの孤独な生活に閉塞しているなど何が楽しいものか! ボクは学生との密な交流なしに教育現場には居られないから、在職中も長期の留学特権を放棄してずっと日本に留まっていたヨ(中国には1週間足らずの集中講義には行ったけど)。

 蛇足ながら歴史と文化が充実しているヨーロッパには、35日間と10日間の2回自費で訪れたヨ。