学大から出たい

@ 該当箇所を見出し難い、という苦情をいただいたので更新記事を前に出しま
  した。

< 学大から出たい  ワッシーに居て欲しい > (3/8) 

 悲鳴みたいな表題を並べてしまったけど、けっこう本音に近い。何よりも学大から脱出したいという思いは、殆どの教員の共通した思いではないか。それほど学大は(ひいては教育学部は、さらには大学という職場は)魅力が失せてしまっている。教員養成とはいえ、教育マシーンを作ることに主眼が置かれているので、基礎教科と言われる我々の肩身が狭くなる一方。根本正義・山田有策といった学大の名物教師が「後ろ髪を引かれ」ぬまま、さばさばと学大を後にして行ったのも肯けるというもの。文科省の言いなりになっている感じで、大学全体としてはどこにも<学大らしさ>が感じられない。ワッシー学長の主張する<もの作り>の基本に<人作り>の発想があれば大賛成だが、あまり伝わってこないのは当方が冷めているせいか?
 愚痴が始まるとキリが無いのでこのくらいにしたいが、実は今日そのワッシーに呼びつけられて学長室まで出向いた次第。情報担当の出口副学長が同席されたのは立場上当然なのだろうが、「情報」という微妙な問題なので専門的見地に立った知識と知性を兼ね備えた方がいると安心して議論ができる。「学長選挙でせきや大先生(ワッシーは皮肉交じりでこの呼称を使う)が書いたブログの発言に苦情が寄せられているので、学長として意見するから」ということだった。断る理由は無いので行ってみたら案の定、旧執行部と来年度発足する新執行部のヤカラから出たと思われる牛糞のようにネチネチした(こういう言い方がイケナイ?)憤懣にワッシーが困り果てているご様子。「あなたの小林秀雄論のような格調高い論調(この人、ホントに読んでる!)ならともかく、品の無い非難をブログに記すべきでない。」というお言葉。「私は硬軟2通りの文体を持つが、それはともかく苦情は私の発言の何処に対するものなのかが分からなければ、ハンセイも訂正もできない。」とお応えしたのは当然のことだと思うが如何? ワッシーは「具体的には言えないが、今後は謹むように」というので、「具体的に指摘されないと、今後は何も書くなという言論弾圧になりますが。」とお応えするしかなかった。
 しかし他ならぬワッシー学長をこれ以上困らせては申し訳ないので、小一時間にわたって神妙に「お説教」を拝聴してご意向に沿うことにした。その点ではワッシーに泣きついたヤカラは凱歌を挙げてもいい。「具体的」には学長選挙に関するブログ記事は、新年度も近いことだから消去するということ。しかし今後の言動を慎むということに関しては、私に限らぬ「言論の自由」という大問題につながるので軽々に約言できかねる。せめてはブログを大学のホームページから切り離す、という処置くらいのことかな。以前にもブログ記事について出口副学長から助言された際に、ホームページからの撤退を考えたのだが今回がイイ機会なのでそうすることにしよう。学大には破格の教員がいるというだけで、大学の幅と奥行きの深さが伝わるかとも思い、学大のことを思い敢えてホームページにつないでもらっただけだからこだわりは全く無い。
 しかしながら当方が署名入りの記事を書いているのに、ワッシーに苦情を寄せる小人達は今流行りの「2チャンネル」(実は見たことが無い)よろしく顔を見せないところが情けない。同じ大学教員なら対等に議論したら良かろうものを、小中学生並みの「(校長)先生に言いつけるから!」風の対応されては拍子抜けというもの。それこそ「今後は謹む」でもらいたいものだ。(フ〜ム、昼過ぎからズッーと働いてきたので、さすがに疲れてきた。午前3時だし。以下は簡略に記すことにしよう。)
 「学大を出たい!」と言っても、他分野は知らず、文学研究の流行らなくなったご時世では行き先が無い。アノ全国区の有名人、山田有策先生でさえ学大後に相応しい職場が見当たらなかった、という現状は一昔前では信じがたいこと。さりとて出たところで学大のような学生はどこにでもいるわけではなし(じり貧状態なのは否定できないものの)、せめては目の前にいる意欲的な学生との交流を励みに学大でガンバルしかないのは自明のこと。大好きな学生の一部があと数日で去って行く、と思うと哀しいかなや 淋しいかなや!
 学長・副学長にはついでながら、近々ブログに書こうと思っていたことを口頭で申し上げた。根本的には今や学大では種々のマイノリティが抑圧されすぎている、という危惧。一番見やすいのは喫煙者を魔女狩りのように追いやる傾向。また一番大事なのは学生の力が衰えているのをいいことに、建物からの締め出しやカンニング処分など教員のやり放題という惨状。最近の大学の方式である何でもトップダウンだから、話し合いに基づいてないぶん受け取る方も納得しかねる、というのも当然だろう。例えば喫煙場所を決めるにも、喫煙者の意見を聞きながらやれば非喫煙者に対する意識も再確認しながら共存を模索できよう。決定に参加していれば、参加した喫煙者が他の喫煙者に注意を促しながらマナーも徹底できるのではないか。学内全面禁煙という大バカな発想は論外にしても、お互いの人権を尊重するには分煙の良策を検討すべきであり、<共存・共生>を模索していくことこそが<教育>の場ではなかろうか?!
 止めるはずが、いつの間にか力が入ってしまい、、、次の機会に譲ろう。
ただ、学長・出口副学長のお二方とも基本的には私の考え方にご賛同いただいているという感触があった、ということをお伝えして学大の皆さんの気持を多少とも明るくして終わりたい。「ワッシーに居てもらいたい」というのは、その感触が得られて有り難かったということ。去られるのは惜しい哀しいことながら、村松新学長にワッシー路線を受け継いでいただければいいのだから、やはり明るい気持で行き(生き)ましょう!


【2009年】

<『青銅』 坂口安吾研究会 近代文学会春季大会印象記>(学外篇)  10/4

 表題はもちろん吉本隆明が『試行』に連載していた「情況への発言」をもじったものだが、以前にも学大の近代文学3ゼミの機関誌『青銅』29集でもこの題でエッセイを書いたことがある。その際は相変わらずルーさん(小森陽一)への苦言から始まり、定年で勇退なさるウッチー(内田道雄)先生を愛情込めて茶化しながら言葉遊びを羅列した上で、教員のセクハラを糾弾していた。例に挙げたのは、今はトシをとって小さくなっているが(何が?)現役時代は手の付けられなかったという東大系のエロジジイから始まり、千葉某大の心理学系のエロオヤジや北関東の国立大の音楽教師連など。(今日もヒグラシゼミの後、京都大学の有名教員がセクハラで退職したと聞いて呆れたばかり。)この件は思い出すだにハラが立つので、楽しい言葉遊びの方を書き写すことにしよう。当時近代文学会の編集委員だったので、委員の皆さんに贈呈したらバカ受けした「定評」のある言葉遊びですゾ。
やはりセクハラがらみの話題から、、、
 
 * 痴に働けばカメが立つ。嬢に凸(サオ)挿せば泣かされる。
                        (漱石草枕」) 
 * 「戯れに恋はすべし」(ミュッセ「戯れに恋はすまじ」)

大事な商品のはずの学生に対して抑制できないと、退職という結果になるのは当然。

 * ウソも方便、クソは大便。
 * 金襴緞子(きんらんどんす)の帯解きながら、淫乱ダンスを踊ります。
                   (童謡をモジったストリップの光景)
 
 自分で作っておきながら、思い出すと笑ってしまう言葉の一端、全部読みたいヒトは東京学芸大学関谷研究室までご注文下さい。(バックナンバーは200円)
(184−8501 小金井市貫井北町4−1−1)
 
 さて昨日「坂口安吾研究会」に参加したのだが、思えば前回は京都で上記の京大の教員を呼んで期待通りに面白かったものだ(2つ質問したけど、すぐには答えられないと謙虚に応じたのも好感が持てた)。今回は未知の前田塁という人が来ていたのだが、残念ながら小入りで20人以下、それでも議論は散漫ながら刺激的だった。前田氏は柄谷行人の教え子だそうだが、柄谷さんもキチンと教師をしているのかと感慨深い。近代文学会で書いたように印象記を書けと言われたが、例によって寝ていた時間が多かったのでお断りした次第。「散漫」な印象は当方が寝ていたせいもあるのかも。ともあれ名言・迷言が続出して楽しかった。手元に資料が無いので思い出すままに、、、
 * 村上春樹は文学だと思って読むからハラが立つのであって、、、(川村湊
 * 春樹はテクストになってない。(同上。整序化されてない、と言う意味?)
 * 安吾は失敗することによって完結する。(前田塁
 * 速度と効率は別次元だ。(葉名尻)
 * 大東亜戦争を機に詩が書かれるようになった。(山根龍一)
 篤実な安吾研究者に成長した原卓司(昔はハラ坊と呼んでいたものだけど)氏が、唯一安吾のテクスト(「信長」等)に沿って「速力」というテーマに絡めて発言していたが、前半の司会も務めた宮沢(?)氏は典型的な「しゃべっている中に自分でも何を言っているのか分からなくなる」タイプで、シンポジウムになってからは場をシラケさせた。マイクの使い方も知らないようで、不要に耳に響いて不快だった(眠れないという苦情ではない、念のため)。
 先般、横光利一川端康成合同研究会にも参加したが、視野の狭い発表ばかりで期待外れだった(リンタローは悪くはなかったけど中途半端)のに比べると、安吾研究会はいつも刺激をもらえるので我ながら結構参加している。先日初めてホームページなるものを安吾研究会の画面で見たのだが、自分の姿があちこちで写真に撮られていたのでビックリ。幸い眠っていなかったので安心、学会というと眠ってしまうのが常なのでゴメンナサイ!

 前述の学会の印象記は、5月の近代文学会春季大会について書いたもの。これも例によって歯に衣着せぬイチローの(一流の、のモジリ)読ませる文章。学会の大御所(?)の発表が「学会発表になってない」と率直に述べたので全国で受けているようだ。この大御所がフェミ系のハシリだったヒトなので、その取り巻きがいろいろ誤解をしたがるだろうから、印象記が掲載された「会報」を出している運営委員会の名誉のためにも一言しておく。
 何もこの大御所を叩くために唯一(?)その能力と胆力のある関谷が「刺客」として選ばれたわけではない。実は昨年も秋季大会で依頼されたのだが、勤務校の都合で参加できないのでお断りした経緯があって今回引き受けたもの。さらには初稿を送ったら、若手の委員がビビっているので数カ所書き直してくれ、と指摘されて委員長の要望に応えた経緯もある。委員の中には先述の取り巻きもいるだろうから、彼女ら(彼ら)の立場をツラクさせる気は毛頭ないので委員長の指示に従った次第。お蔭で某宗教団体を刺激せずに済んだと思えば、運営委員会に感謝すべきだと思っている。
上野千鶴子もだいぶ硬直化して無惨な姿をテレビにさらしていたのを、同じ「学会」が付く流れで宗教団体のオバサンの勧誘と同列だと難じたものだった。何はさて、会員でないので読めない方のためにも印象記を引用しておく。委員会には責任が無いことをハッキリさせるために、改稿版に付したコメントも付しておく。

 「春季大会印象記」

 コワイ企画である。運営委員会の意図・姿勢は明瞭であり、強烈である。アラフォー以前の世代が領導している研究状況が、アラカン以上の世代にとっては被災地同然の惨状として受け止められており、その災害地における還暦過ぎの研究者達の存否を確認しようというのが委員会の狙いと見た。瓦礫の隙間から「生存者はいますか?」と問いかけたもの。それにしても委員会の慫慂に応じた御三方の勇気ある自己決定(けつじょう)には頭が下がる。自分なら真っ先に逃げ出すであろう、というヒキョー者が高みの見物から得た印象である。悪しからず!
 最初の上田正行氏はただ今勉強中といった趣の、一葉の和歌に関する発表。音楽で言えば、ひところ海外の指揮者が振り慣れない曲をコッソリ後進日本で試して本場での演奏に備えたものだが、上田氏は近代文学会の大会が正真正銘の本場であることを軽く見すぎたようである。そのために、山田有策・野口碩・関礼子等の通どころから集中砲火を浴びたのも当然の結果というほかない。昔を振り返っても、専門とする作家ではそれなりの実績を積みながらも、不用意に石川淳(本学会)や川端(昭和文学会)等の守備範囲以外の作家に関する発表をして、無惨な姿をさらした例が想起される。
 二本目の石崎等氏はお得意の漱石の土俵でとった相撲なので、唯一安心して聴いていられた研究成果だった。スロウなテンポの発表が、時間切れになるところからいきなり挑発的な自説の展開になったのでビックリ。十川信介氏等から当然の異論も出されたものの、「自分はこう読みたい」とする石崎氏の姿勢とは平行線たらざるをえない。発表にあった諷刺という意図に絡ませながら、紅野謙介氏から「曖昧さそれ自体を大事にしたい」という趣旨の発言があって共感を覚えたが、日頃から<多義性>や<共存共生>を説く私自身の勝手な思い入れだったかもしれない。
 最後の渡辺澄子氏のものは研究発表と言えるレベルでないのは明白、失笑を買ったのも已むをえまい。運営委員会の真意は測りかねるものの、当初から研究を期待せずに、一つのイベントとして受け取れということだったのであろうか? 女性フェミニズム論者が陥りがちな、<一義性>や<排他性>のイデオロギーが歴史的なものになったことを確認するイベントといった趣で、渡辺氏は自らがフェミニズム論のブランドであったことを虚しく繰り返すに止まった。その昔「世紀のピアニスト」ホロヴィッツ鳴り物入りで初来日したものの、調子が最悪で吉田秀和から「ひびの入った骨董」と評されたことが思い合わされたものである(ホロヴィッツは再来日し、汚名を晴らす名演奏を残して超一流ぶりを示したが)。
 <一義的>に<硬直化>した「オバカ芸」で売った田嶋陽子が、最近テレビで見かけなくなって清々している。しかし田嶋と一線を画しているように見えた上野千鶴子が、美術番組にしゃしゃり出て松井冬子の絵画に横溢する存在の痛苦の感覚を、女性性に限ろうとオルグっていた姿はいかにも「もう一人の田嶋陽子」であり、「上野千鶴子老いたり!」と思わせた。それに引き換え渡辺発表は、吾が日本近代文学会では田嶋陽子の氾濫する時代が去ったことを確認するイベントだった点はメデタイ限りではあるにしろ、「椋鳥通信」も知らず鴎外の<多義性>にも思い及ばぬまま、尾竹一枝一人で鴎外が読み解けた気になってしまう姿は、もはや「失笑」どころではない。鴎外を強敵として高く評価した中野重治は、今から見ても驚くほど鴎外を読み込んでいたことを知るべきである。
 「前期・後期」を問わぬ「高齢者」の質疑応答が<一義性>に偏らぬように、テキパキとさばいていた司会の中川成美氏の手際が強く印象に残ったことを強調しておきたい。単なる才人ではない。


@ 小林委員長殿

 ご迷惑をお掛けしないように、委員会の「検閲」の意向に沿って書き直しました。推敲魔としては、文章に手を入れる機会を与えていただいた点では皮肉でなく感謝してます。おかげでホロヴィッツ評を正すことができました(オスギの教示)。ただ、「どう研究していますか?」では意味不明であり、その点は小林先生の教え子である熊本英子も認めるものでありました。というわけで、別な形の柔(ヤワ)な表現を工夫してみました。これでも「検閲」で認められない場合は、ご連絡次第また推敲してみます。


@ 運営委員会各位殿

 委員会の方々にご迷惑をお掛けする気持は皆無(会務を担当したことがありますが、昭和で。実は昔、近代で運営委員も務めたこともありました、余談です。)のつもりなので、気になさっている点は心ならずも削除と改稿に努めました。できれば文末に「制約上書ききれていない点は、関谷のブログをご参照下さい。」という一文を付け加えていただければ幸いです。以下、今回のことで考えさせられたことを付しておきます。
1、この程度のものなら委員会としては素通りさせ、後は執筆者の責任だから委員
  会は関知しないという考え方でいいと思いますが如何? (独りでも闘う意志
  がなければ、こんな書き方=生き方はしません。匿名・集団に隠れるヒキョー
  を自覚しましょう。)
2、委員会がこの種の「検閲」をするということの重い意味を十分検討しましたか
  ? 権力による「検閲」を批判することは今の時代では簡単ですが、自身が自
  覚せぬまま平然と「検閲」してしまう自己欺瞞をチェックする意志をお持ちで
  すか?
3、今回の「検閲」は形式(字数制限等)ではなく、内容まで立ち入っている危険
  極まりないものであることが理解できてますか?
4、誰でも書ける発表内容の紹介なら委員が書けばいいのであって、「印象記」で
  ある以上多様性こそが貴ばれるのではありませんか?

 上の「3」は磯田光一の言葉を想起しながら書いたもの。チェック機構の困難さを改めて痛感するが、磯田の明晰さは今さらながら評価できる(時には度が過ぎることもあったが)。もっと読まれてもいい評論家。
 大御所の取り巻きと言ったが、フェミニズムジェンダーが流行った頃は、研究の足元がフラついている自信欠落症のモノ共がこれに縋(すが)って群れたものだ。イデオロギーの弱点ではあるが、低レベルのモノが硬直化して教典のごとく振り回すと(自身を含めて)犠牲者を産み出すことになる。上記の編集委員をしていた頃、この一派の低レベルが紛れ込んでいて、委員会の議論をタレ流すスパイ行動が自分(達)の使命と勘違いして甚だ迷惑をこうむったものだ。というのも委員会の事務員(自夢淫ではない)をしていたせいもあって、漏れ出た情報に基づいた抗議が寄せられて往生させられた。この絵に描いたようなオバカなスパイが学部が学大出だったのも、学大出でない私ではあるものの恥ずかしくて残念で、無性にハラが立つ。
 こうした取り巻きが今回の印象記に対して暗躍しているのかもしれないものの、イチローの強みで意に介さない。むしろ運営委員会が痛くもないハラを探られないように、敢えてコメントを公表した次第。
 9時前に遅い昼飯(1日のうち、2度目の食事)を摂ったら例によって眠くなったのでソファで寝たら、日頃の疲労が溜まっていたのかタップリ寝てしまった。正確には5日になってから書き始めたのだが、朝の4時近くなったのでこれで止めます。
 いつも言うとおり、24時間こうした自由が許されているところが学大のイイところ(またまたワッシー学長に感謝!)。他大学では考えられない寛容さで、先ほど8時過ぎに食事に行く時に通りかかった噴水前で学生達が宴会(?)をやっていた。桜の季節ならともかく寒いのにご苦労なものだと思いながら、覗いたら危険も無さそうなので放っておいた。もちろん危険な可能性があれば注意するのだが、何十人いようが一人でも乗り込めるのが(イチローの向こう見ずさではあるが)学大の学生が信頼できるところ。学生と教員の信頼関係のある大学を志望している受験生に「この場を借りて」強調しておきたい。