渡辺憲司はエライ!(今日の言葉 2)

「今日の言葉」というタイトルが良くないので変えたいけど、まだ名案が浮かばない。
これを「状況への失言」欄に記すのも相応しい感じもしないけど、独立の欄を設けるパソコン技術を忘れたので次の機会に。
ともあれ紹介したい言葉はあり余るほどあるので追々に。
スポーツ欄以外の新聞記事はすぐに読めずに、日を置いて読んでいることは前に記したと思う。
昨日、3月6日の朝日(しか読まないが)の「耕論」の欄に「贈る言葉」というテーマで立教のナベさん(渡辺姓は皆ナベさんになってしまう)の写真と記事が載っていたのでビックリ!(後で廊下に貼っておく)
写真は以前に倍してデブっていたので自己管理が甘いと思ったけど、記事は以前からのイメージを超えて見事だった。
この間の「ブラタモリ」という素晴らしいテレビ番組で、江戸時代に隅田川から船で遊郭に通ったコースをタモリに案内していた姿は、こんなにデブってなかった記憶なんだけど・・・
あの番組ではタモリ以上に面白い駄弁を弄してウケていたので、テレビで見た人は想起できるかもしれない。
ともあれ以前、大学教員でこれほど学生思いの人はいないと感心していたのだけれど、そう感じた「言葉」をまず紹介しておこう。
非常勤講師の接待の席で、新座(教養部)の学生は授業中でもウルサイという感想が常勤・非常勤から相次いだ時に、一人ナベさんだけは「私は学生はウルサイ方が元気でイイと思う」と断言したのだった。
ボクも講義中に、授業内容に関する発言以外の私語を嫌うので、この一言にはマイッタものだ。
こんなに大らかな人がいる限り、立教は大丈夫だと痛感した。
学生時代、全共闘運動が始まる頃の学生のキャンパス内デモを見た菊池章典という世界史の先生が檀上で発した、「今日、私は諸君のデモを見て感動した」という内容の言葉を聞いた時以来の、珍しく大らかな人の言葉だと思った。
さて「今日の言葉」は「聞き手」の記者がまとめたもののようだけど、文字通り感動的な言葉だ。
≪海を感じなさい。五感を震わせて海を感じなさい。その目で波頭を見て、その鼻で潮の匂いをかぎ、肌で東北の海の冷たさを感じなさい。(略)
新聞やテレビで分かった気になってはいけない。今からでも遅くない。震災から一年たった東北を訪ねなさい。(略)
君が大人になった時、後の世代から必ず問われるだろう。「あのころ、どうしていたの」と。(略)2012年3月の東北の海で感じたこと、考えたことを自身の生き方に反映させなさい。次の世代次の世代へと語り継いでいきなさい。これは君たちの義務なのだ。(略)
究極の人間らしさとは何か。他人へのやさしさだと、私は考えている。やさしさの語源は「痩せる」である。他人のために自分の身を細らせるという意味を含んでいる。(略)
戦後はみんなが貧しかった。今、悲劇は一部に集中している。だから分かち合うことが必要なのだ。弱っている人にやさしくなりなさい。(以下略)≫
分かりやすいのに突き刺さってくる、スゴイ言葉だと思う。江戸時代のエロ文学を専門にしている普段のナベさんからは、想像し難いマジメすぎる重い言葉だ。
これほどスゴイ人だとは思わなかった。普段は自分のことをそう思わせないところが、またステキだ。
春合宿のことを「つぶやきイチロー」の欄で記した際に、学大(等)の学生を東北に連れていったら、なにも指示しないのに勝手に被災地を訪れていたので嬉しい驚きを受けたことを思い出した(ボクはクズで酔っぱらって寝ていたけど)。
その学生・卒業生達には特にナベさんの言葉を伝えたい。
学生に被災地にカネを落としに行こうと勧めた時に、ボクには自分の感じていたことをナベさんのような素晴らしい言葉にする力が無かった。
釣りが大好きなボクは「海に行こう」とは言うけれど、ナベさんのように「海を感じなさい」とは言えない。
5月連休には、昨年断念せざるをえなかった大洗に行くのだけれど、館山よりもずっと東北に近い大洗で卒業生と一緒に「海を感じ」てこようと思う。
ナベさん、ありがとう!