身近なテロ  <実体と表象>  <小説と物語>

『文藝戦線』やナップの機関紙『戦旗』の現物を回覧して、モダニズムの代表である『文藝時代』のオシャレな感じとの差異を確認してもらった。
関東大震災時にはフツーの日本人(自警団)がデマに乗せられるままに多数の朝鮮人を虐殺してしまったが(差別意識と集団パニックの怖さ)、どさくさに紛れて甘粕大尉が代表的なアナーキスト大杉栄とその家族をテロで虐殺したことは既に取り上げた。
昭和3年には山本宣治という労農党の代議士が、白昼右翼のテロに遭って殺されるという事件が起き、『戦旗』のテロに対する抗議特集も回覧できた。
その時代を感じてもらいたいという企図は通じたと思うが、白昼のテロで人が虐殺されるという状況は現代のアフリカやアメリカ・ロシア・中近東等で起きるだけではなく、日本でも昭和の戦前をピークに明治・大正期にも繰り返されたという事実を忘れてはなるまい。
最近話題になっているオウム真理教のテロも同然なのは、言うまでもない。

さて宿題の一つ、井伏の「鯉」については先週の「主人公が気持悪い。特に最後の場面がキモワル。」というオモシロイ感想が気になっていた。
最後の冬の場面については、晩年の井伏自身がカットしたいと言っていたという。
山椒魚」とは異なり、幸い実行することはなかったが、私見(拙著『シドクーー漱石から太宰まで』参照ウオッ!)によればこの場面は不可欠である。
実体としての鯉のままではなく、「私」を慰撫・救済してくれる表象としての鯉が確固として内部に位置したことが重要なのである。

師と仰ぐ井伏を継承しつつ、<(自虐の)笑い>という日本文学では少ない領域で多くの作品発表した太宰治であるが、「魚服記」は笑えない部類の作品である。
宿題だったのでこの作品の読みを質したら、国語の学生一人が積極的に応じてくれたのでホッとした。
今までは国語以外の学生に押され気味だったけど、これが国語学生の逆襲(?)の始めになってくれると嬉しい。
(もちろん国語以外の学生達の、意外な読み方はとても刺激になるので歓迎だけれど。)
その読みだが、父親に犯されたスワが投身して鮒に変身して元の処女に浄化されたというのは説得的だったけど、鮒が再び渦に巻き込まれていくという「二度目の投身」の読みが甘かった。
鮒への変身で完結しないのが「魚服記」の難しさなのだけれど、時間切れで宿題となった。
当時太宰は、木山捷平宛の書簡で《数日後、スワの死体が橋グイに引っかかった。》ということを記しているので、その意味も宿題として考えてもらうこととなった。
答えは、授業の流れとして次の「孔雀」(プリント配布済み)に続く、<小説と物語>というテーマになるのでお楽しみに!