多忙にかまけていたら、またまた「概論」記事の更新を忘れたいて申し訳ない。
太宰「魚服記」における<水のモチーフ>を確認して、これが太宰文学に通底することを補足した。
太宰「魚服記」は当初、スワの死体が発見されるというエピローグが構想されていたものの、(太宰本人の言によれば)力及ばず果たせなかったという。
死体の発見まで書かれていれば、現実世界を描いたリアリズム<小説>ということになるが、現行テクストのままだと非現実な幻想世界の<物語>ということになる。
この<小説>と<物語>という二分法は、古くは坪内逍遥「小説神髄」の小説論にまで遡れるが、結構有効な分類だと思う。
以前、三島の「孔雀」と「殉教」という作品を例にして、三島の作品にはこの小説・物語の両様に読めるものがある、と論じたことがある(『現代文学史研究』第二集)。
ということで「孔雀」のプリントを予め配布しておいて宿題にしたのだが、時間切れで具体的には講じられなかった。
文学史の講義として、大正末と昭和8〜10年頃の2回、<同人誌の時代>があり、それぞれ「左傾化」が流行り始める時期と「転向」の時代に重なることを話したので、作品分析の時間が足らなくなった次第。
半期で満足な授業ができるわけないところを、学生ともどもガンバッテおりまする。
充実したカリキュラムで卒業してくる文学部の学生とは、教員採用試験でも太刀打ちできないのも已むをえない。
せいぜい自主ゼミで補うしかあるまい。