小説と物語の二重性   焦点化  三島由紀夫

やっと三島の「孔雀」を素材にして、<小説と物語>という二重の読みが可能なテクストの実際を講義できた。
現代文学史研究』第二集の拙論は同様の読みができる「殉教」を中心にしたので、「孔雀」論は手薄だった分だけ今回の講義では大事な補足をしたつもり。
「概論」らしくジュネットの「焦点化」という概念を紹介してきたが、「孔雀」は「内的焦点化」の中の「不定焦点化」の好例と言えよう。
(ちなみに『解釈と鑑賞』の志賀特集で「小僧の神様」を担当したことがあるが、この作品も「不定焦点化」の例と言える。)
奇数の節では富岡に焦点化してその異様な美学を語らせ、偶数節では刑事に焦点化することで幻聴・幻覚を感受させながら、最終節後半で写真から抜け出した富岡少年の姿だと思い込ませる手つきである。
焦点化のプリントと「孔雀」に時間を使いすぎたために、プロ文の歴史の図表の解説と「愛撫」の講義ができなかったので、次週はここから続けて宿題の安部公房に移る。
意欲的な1年生が飛び込みで授業に来たけれど、もともと「難しい」と評判の講義の上に、「孔雀」を予め読んでなかったので理解しにくく眠りがちだったのも当然か。
それにしても「概論」は二つ両方聴きなさいというアドバイスを守って参加したS君は褒めるに値する。