東京学芸大学村松泰子学長の陰謀(?)

学大問題について記すのは久々な気がするが、卒業生の中にはこのブログが「本来の授業案内ばかりになってホッとしている」というお譲様たちの感想が寄せられる一方で、「あんなイイカゲンな執行部とは徹底的に闘わなければいけませんゼ」という闘士からの叱咤激励もあるので、忙中ながら悩ましい心を持て余している。
憲法の専門家も、言論の自由の観点から私への処分は「不当」だという判断をしてくれている。
学生時代からの僚友は、資料を私以上に精密に読みぬいてくれ、私の倍以上に怒って知り合いの<闘う弁護士>に相談しに行ってくれた。
概略を聞いただけで、弁護士は「執行部の雑な手続きから見て、理由は後付けでとにかく処分したかったのだろう。」と判断したと言う。
確かにその通りなのだが、弁護士が想定したという「例えば派閥争いの犠牲」というような原因ではないとは考える。
基本的に<弱者の立場>で発言してきた私には「敵が多い」と言われるが、村松さんが学長に選出された選挙において、私が対立候補の長谷川正氏を強く推したのは事実。
村松さんの推薦人の一人からは、「あなたの発信力を恐れている」という言い方で警戒されたのも覚えている。
選挙では競争相手を批判して憎まれる役どころが必要で、それを買って出た感じはあったが、それを根に持って今回の私に対する処分を仕組むほどの悪人が、学長周辺にいるとも思えない。
無理な処分を仕組んだのは、既に指摘してきたとおり、学内のセクハラ等のハラスメントを村松・大竹ペアが(或いは二人を操っているヤカラ達が)<見ないフリ>をしようとしていたので、執行部批判を繰り返したために逆恨みされたための「不当処分」、というのが事実に近いところであろう。
私を支持してくれた憲法の専門家と同様の見解を持った<闘う弁護士>は、執行部を訴えれば勝つ見込みは十分と保証してくれたそうだが、<教育と研究>の日常に回帰している現状からすると、訴訟のために今回の問題で時間と労力をこれ以上費やすことはためらわれる。
少なくとも現在のところでは、今すぐに訴訟をという余裕はないが、冬休みになれば気が変る可能性はある。
いちおう訴訟の可能性も考えて、改めて審査委員会のメンバーを確認したところ(出席者は同席したので明らか)、何と10名の中で出席者が半数でしかなかったのが判明したので悪さの手付きがあまりに見え見えで、これが大学人のやることか?! とまたまた呆れてしまった!
それも繰り返し強調してきたとおり、私の「罪状」は文書における「表現」が「人権侵害的・差別的」だと言いながら、かろうじて過半数を揃えた審査委員会には「表現」を専門とする二人の委員が(評議会の際と同様に)欠席していたのである。
「表現」の問題についてはド素人のメンバーばかりが駆り出されて、脛(すね)に傷持つエロ弁護士に引き回されるままの、イエスマンに徹した委員達だけの出席だったわけである。
<闘う弁護士>による示教によると、訴訟を起こすことの魅力の一つは、私がいない所で行われた審査委員会や評議会の議事録の提示を請求できるというもの。
私の前では何も言えないオバカ達が、陰では執行部のご機嫌をとりながら尻尾を振る様が再現できるのは興味深い。
また、表立っては現れていない「良心的知性」の持ち主が、チープな執行部に対していささかでも批判的な言動があったことが確認できれば、少しは学芸大学にも希望が持てるというものだ。
もちろん前にも明言したとおり、私はこの二人の「表現」の専門家や、他の欠席者にプレッシャーを掛ける気はないので彼らを個別に追及する気持は無いが、<表現の自由>の大切さは今後決して忘れないように肝に銘じてもらいたいと期待している。
先般の人文社会科学系教授会で、「私が不当に処分されたとはいえ、皆さんは萎縮しないでもらいたい」と発言したが、憲法で守られた<表現の自由>は実践してもらいたい。
彼らが委員会・評議会に欠席したり沈黙を守ったのは、村松学長とその周辺の圧力だとすると、権力を握ったモノが陥る常道とはいえ、執行部は不条理な暴走に堕したということだ。
鷲山前学長が退いて間もない頃、キャンパスで会った際に私が「学長辞めたら表情が良くなったネ」とからかったことは以前記した。
今の村松学長の表情は、学長に就任する以前と比べると(お付き合いが薄いので以前の印象に詳しくはないながら)明らかに悪相になっていると感じた。
特に「審査理由説明書」を私に手渡した時の硬い表情は、悪事を自覚した者の面だった。
「懲戒処分書」を手渡す際は、二度目だったせいか落ち着いた表情であり、居直ったモノの面で口頭の注意(脅し)まで付け加えてくれたものである。
もちろん脅(おど)されると抵抗するのが「習い、性とな」った私には通じない。
学長になる以前の村松さんという御仁と接した限りでは、自ら悪事を行うとも感じられない印象なので、陰で彼女を操っている「道鏡」(エロ弁護士でなければ)の正体も気にはなるが、こういうホンモノの悪人はなかなか馬脚を現さないのが常ではある。

@ 学芸大学の歴史に比べれば、遥かに歴史も規模の異なる総合大学のある研究科長を二期にわたって務めた友人の感想を付しておく。
 これも別の大規模な総合大学で学部長を務めたことのある方が、蓮見元学長が些細なことで教員処分を全学教授会に提案した際に、「関谷さんの言うとおりで、無届で非常勤講師をやった教員に注意をすれば十分で、処分を教授会に諮るのは大仰すぎる。」とおっしゃってくれたのを思い出しながら。


《お手紙と資料受け取りました。

研究科長退任後も続いていた校務から解放されようやく暇になりましたが、
今の時期は別のことで結構忙しく、昨日山へ持って行って、一服しながら
拝読しました。

資料については、大学というところには、なんでこういう人間があちこちに
棲息しているんだろうというのが、最初の感想でした。どこかに「自浄能力」
とありましたが、これはまずまわりが腹を固め結束して、毅然とした対応を
するというのが最初かと思いますが、それができないから問題化するん
でしょうね。

ところで処分ですが、当事者への処分は軽すぎるぐらいだと思いますが、
関谷氏への処分は行き過ぎだと思えました。それとたしかに手続きが
杜撰です。私もこちらで評議員として何度か経験しましたが、○○大では
処分について学長から提起があると、まず調査会が組織されます。
評議員数名と担当の副理事(元法学部教授)に弁護士も加え、事実関係を
調査します。これが何回も審議や事情聴取などを行い、事実関係を
確認して報告書を作り、評議会に報告します。そして、そこで
たしかに処分すべきだという結論になったら審査会がつくられ、処分の
内容を検討します。審査会のメンバーは調査会と同様ですが、別の
評議員が選ばれ、結論が出れば評議会に諮られ、そこで評決が
行われます。当事者は、調査会等からの事情聴取も受けていますが、
処分に不服があるときは、最終段階でも不服を申し立てることができます。

煩雑な手続きで時間も掛かりすぎるのですが、処分というのは
それだけ重いものだということでしょう。関谷氏に関しては軽々に
いえませんが、あったとしても研究科長厳重注意ぐらいが妥当かなと
思いました。》