知らないと恥をかく重要語 「研究法」2回分のメモ

小林幸夫の「網走まで」論を丁寧に読んでいる。
(1回目)最初から飛ばした感じだったから、今回から参加した2年生にはワケが分からなかったのも当然か。
何事にもあれ、準備(予習)をしておかないと十分には吸収できないのは当たり前。
この授業は論文要約をはじめ、授業準備を怠ると大事なことがたくさんあるのに、身に着いていかないので注意!
もちろん復習も極めて大事。
今回だと、<認知への創造力><生きられる時間>(ミンコフスキー)はとりわけ重要。
論文では特に問題にならないながらも、「飴のように延びた時間」はたぶん小林秀雄「無常といふ事」を意識して使った言葉であろうが、過去から未来の方向に真っ直ぐに延長される近代的な「時間概念」で、金太郎飴のようにどこを切っても同じ均質な時間で、したがって時計で測れる時間のことであろう。

(と、以上まで記したのが2・3日前で、多忙のまま中断。
続きは後で記すことにして、他の授業で緊急連絡があるので、そちらを優先させて下さい。)

(2回目、すなわち11月6日)
小林論が紹介しているビゴーの戯画集(岩波文庫)や、エドワード・ホールの「かくれた次元」の実物を見てもらった。
ホールの言うバブルに絡めて、<自己の輪郭>が溶ける(壊れる)ことの不安と快感の<両義性>を説いた。
不安ばかり強調される傾向が強いが、性交は言うに及ばず、祭りの例に明らかなように、集団の中に<自己の輪郭>が溶け込んでいく快感にも注目すべきである。
三島由紀夫が「楯の会」を組織して、制服を着るというのもこの快感を得るためであったはず。
また引用されている高橋英夫志賀直哉 近代と神話』の画期性の一つである<身体論>そのものを詳しく説明しつつ、参考文献を紹介した。
一時ほど流行らなくなったが、<身体論>を知らないと大学生としては恥だと思った方がいいくらいのもの。
今どき「精神と身体の二元論」を信じこんでいると、オバカのまま卒業することになる。
市川浩『精神としての身体』も講談社学芸文庫に入ったそうだから、読みやすくなったということ。同文庫の『<身>の構造」もお勧め。
論中に使われている<エロス>も、フロイトの概念は本来<性>ではなく<生>の衝動だったということは忘れるべきではない。
次回は高橋敏夫の志賀直哉「祖母のために」論。