近代文学会11月例会  松本和也  佐藤泉

テーマが面白そうだったのもあるが、ガチャ(かつや→かちゃ→ガチャ=太宰の叔母の呼び名)君が発表するというので聴きに行った。
テーマが専門的過ぎて参加者は少ないという予想を裏切って、大変な盛況で驚いた。
トシのせいで反応が遅く、前の席を勧めてくれた高橋修さんに会場提供のお礼を言うのを忘れたのを、後で思い出した。
理事の時に会場をお願いしたので、黙っていてはいけない立場だったのだけど・・・
その後に紅野謙介さんに会ったのに、『日本近代短篇小説集』(岩波文庫)のシリーズを贈ってもらっているお礼も言い忘れた。
贈ってくれているお名前が記されていないので、チバちゃん(俊二)だけには礼状を出しつつ、他の方には会ったらお礼を言おうと決めていたのに・・・
シマッタと思った後なので、宗像さんにはお礼を言いつつ明治篇が2冊になる予定も聞けた。
錚々たる顔ぶれの編集者が選んだだけあって、昭和篇3冊・大正篇どれも素晴らしい作品集であり、解説も信頼できるのでゼッタイお勧め!
予定を変更して既に2年生の演習テキストとして昭和篇その1を使用しているし、明治・大正篇は来年度の文学史のテキストにも使えるナ、と考えている。
ともあれ前の方で眠ってしまっては失礼なので(殆ど寝ていたこともあるが、若い時からなのでトシのせいではない)、一番後ろの空いている席で聴き始めた。
休み時間に隣りに何と金井景子さんが座っていたのでビックリ!
一目置く御仁がすぐ隣りにいたのに気付かなかったとは、ドギマギして言葉が出なかったけど、「私は関谷センセイだな、とすぐに分かりました。」と言われると、「オレも金井景子にセンセイ呼ばわりされる老人になったんだナ」と認めざるをえない感じになった(学生に対しては老化を認めたがらないけど)。
でも金井さん、今後は昔通りに「関谷サン」と呼んで下さい、若ぶるわけじゃないけど。

司会の一人が坪井さんだと気付いたので、発表要旨以上に議論が深められるだろうと大いに期待できた。
ガチャ君はデビュー当時から太宰を読める・書ける人として注目している逸物で、安藤宏の再来を思わせてくれているが、安藤氏同様(?)で方法論議には向いてないのか、自身の研究経歴を述べる以上のものが聴き取れなかった。
若さを考えれば已むをえない、という面もあったのだろう。
そういえば博士論文の審査の時に、藤井さんと「作家」をめぐって当時の<お約束>の議論を戦わせていたのを思い合せた。
「作家」の存在は否定できないだろうという藤井さんのツッコミに対して、自分は作家が書いているところを見たわけではないので、というのを「作家」を否定する理由の一つに挙げていたのでアレッ? と思った。
頭のイイ人間が頭のワルイことを言うものだと感じたのだが、私はテクスト論の立場を「実体的な作家を読みに繰り込まない(いないことにする)」という流行であって、時代とともに変わる可能性もあるものと説明しつつ、今はできるだけテクスト論の立場で論じるように勧めているが、それも頭のワルイことになるのだろうか。
佐藤泉さんも漱石論の頃から一目置く研究者で、方法論議も得意そうだけれど、現実世界の動きに敏感で最近では実際行動もやっていると聞いたことがある(金井さんの隣りに座っていたヒッキー<デブからイケメンまがいに変身した疋田クン>からの情報)。
(文学)研究に現実の動きとの関連を取り込もうとすれば、誠実な人なら誠実なほど実際行動に向かわざるをえないものだ。
「苦界浄土」は文学としても優れていると強調したかったが時間が無いと断ったが、司会から時間を提供されても、その後にまた純真なガチャ君から「苦界浄土」のどこが文学として優れているのかツッコマれても苦戦するばかりの印象だった。
水俣の話から「苦界浄土」へ展開するのかと期待していたのに、沖縄やフクシマ問題で他の分野の人達と研究会をした体験を話し出したので、やはり無理だろうナという思いを強くした。
教科書の歴史に関する名著があるそうで、それなら現実と文学の関わりを論じられると思うけれど、現実(水俣)と文学(「苦界浄土」)を直接架橋するのは極めて困難(無理)だろうということ。
優れものが沢山集まった研究会だったのに質問が出なかったのは、現実世界の動き自体に対してと、現実にコミットする論や人物に対する引け目があるせいだろうか?
そう感じたのは私が老人だからだろうか? とも考えたが、それにしても煮え切らない(遠慮ばかりで議論が深まらない)例会で期待を裏切られたものの、仕方ないことだったのだろう。
佐藤さんの文学研究のレベルの高さは漱石や目取間俊の作品論で十分承知しているので、「苦界浄土」の<言葉>(文学)を論じることはできるのは間違い無かろうが、それと水俣問題(現実世界)を架橋する困難は別のことに属するのだから、<言葉>を無視して<状況>だけを語っても「苦界浄土」の文学性には行き着かないという認識は我々老人達には当たり前の認識。
そんな老人の諦め(?)を言いだしたら研究会がブチ壊しになるので、老人皆は若い誠実な研究者がもがき足掻いている姿を黙って見守るしかなかったということなのだろうか?
アウシュビッツの後には文学はありえない!」と言い残して自殺した詩人の名前が思い出せないのもトシのせいだろう。
飯島耕一が自作に引用していた記憶もあるが、違ったかな?
古くはサルトルが「飢えた子を前にして文学は何をできるのか?」と問うたが、磯田光一のように文学と現実をキッパリと切り離す根性が無いかぎり、両者を何とか架橋しなければと足掻くしかない。
学生運動が消えた学園で育った世代の難しさか、と考えるのは私が老化した兆候なのだろうか?
佐藤さんの最後の発言を、坪井さんが「アジってくれてありがとう!」と受け止めたのが微笑ましくもあり、力づけられた感じでもあったのも老人のせいか・・・