22日は葛西善蔵「蠢く者」論

テキストは樫原修の近著『「私」という方法ーーフィクションとしての私小説』(笠間書院)で、論文をたたき台にして論じられている作品を議論していく。
樫原氏は小林秀雄を一つ一つのテクストに閉じて読みきるという形式で、洋々社から切れ味鋭い著書を出している。
小林のみならず、様々な作家を独自な観点から論じていて、どれも読み応えのある論である。
イデオロギーから完全に自由な読みで、読む能力の劣る者共はその説得力に圧倒されるであろう。
著書のテーマは副題の通りであり、第2回の葛西善蔵論には氏のモチーフが明確に感じられるであろう。

後付けになってしまったが、第1回の15日は梶井基次郎「ある崖上の感情」論をやった。
急ごしらえのレポだったが、センちゃんが二人の人物を敢えて切り離してその相違を強調しようとした心がけは良かった。
そう簡単に成果は出せないものであるが、リューマンも果敢に作品並びに論文に挑戦してみせて読ませた。
手許に資料が無いので詳細には触れることができないが、授業中に意見は付してある。
樫原論は何度か読んできたものだが、二人のレポのお蔭で初めてこの卓論に対して批判的な見地が開けてきた思いだった。
いずれ簡略にでも記しておきたい。