ゼミ員がすばる文学賞!  金城孝祐  松波太郎  日和聡子

何年か前に昭和ゼミに数回参加して、その発言の言葉尻を捕えられて「ボッキマン」の愛称を付けられた一橋大院生・松波太郎クンは文学界新人賞を受賞した勢いで芥川賞の候補にもなったが、あえなく落選したものの今や時々文芸誌に名を出す作家になりきっている(売れっ子になったら姿を現さなくなった!)。
今度は3・4年前からゼミ員として活躍してきた「戦場カメラマン」カネシロー君が、すばる文学賞を受賞した! 
賞金は100万だそうだから、いずれゼミ員全員もイイ思いができるはず、楽しみに!
ゼミのメーリスには流したものの、早くブログにも記して報せようと思いつつも、多忙にかまけて今頃になってしまい申し訳ない。
「すばる」11月号に受賞作品「教授と少女と錬金術師」が掲載されているのだけれど、地元の本屋には無かったので選評も読めなかった。
ちなみに作品の「教授」とボクとは全く関係ないとのこと、ヒマを見つけて図書館で選評だけでも読みたい気持。
実は10月中旬の連休に一緒に釣り温泉旅行に行った際、選者の誰が評価してくれたのかを聞いたら高橋順一郎だと知ってナルホドと思った。
高橋は朝日新聞の論壇時評は楽しみに、そして説得力を覚えながら愛読しているが、小説そのものは自分とは合わないので読めない。
それと連動するのだろうが、カネシローの小説など読む気も起きないというのがホンネで本人にもそう告げた。
ボッキマンの文学界新人賞作品は何とか読めたけど、芥川賞候補になった「よもぎ学園〜」という方はツマラナ過ぎて落選も当然。
昔、三田誠広「僕ってなあに」とかいうこれ以上クダラナイ作品はないというのが芥川賞を取った不思議を想起すれば、「よもぎ〜」の方が読む価値があるには違いないが、三田の他の作品に比べればボッキマンの才能はだいぶ及ばない。
カネシローは武蔵野美術大学院修了生で、画家としての腕は確か(デッサン力は十分)なのはこの目で確かめたことがあるが、美大の仲間とやっていた演劇を見せられた時は、生涯で歴史に残る無駄な時間を強要された思いだったのを忘れない。
あれこれの演劇をヒントに自分なりの工夫を凝らしたアイデアは伝わるが、パクリの次元を出ない印象で全くインパクトが無いので、自分だけ良がっているオナニー的演劇は早く止めるように言った。
カネシローが小説を書いたところで、演劇と同様のオナニーに過ぎないだろうと考えているが、高橋源一郎なら認めても不思議ではないと思った。
ところが朝日の文芸時評で、ある程度批評眼があると思っている松浦寿輝までがカネシロー作品を評価していたのでビックリ!
カネシローはホンモノなのかもしれない! と評価し直そうかと感じたが、時評を読んだら≪てんこ盛りのスラプスティック(註〜ガラクタ)なギャグも、あちこち滑りまくっているものの、そのくだらなさに作者自身が照れてしまわず、大真面目を演じ通している点に好感が持てる。≫という本質を突いた見事な一文が、カネシローの演劇から受ける印象そのものなので、ヤッパリ! 
でも程なく単行本になるそうなので、贈呈されれば読むことになるのだろうナ、と覚悟はしている。
「すばる」11月号には日和聡子の小説も並んでいるが、ボクの関心は日和の方にある。
この人は十数年前に立大の学部の演習授業に参加していて、ボクの一番好きな作家である梅崎春生のファンだというので超ウレシかったのを忘れない。
卒業後に佐々木幹郎さんに認められ、中原中也賞を受賞した詩集を送られてビックリしたが、そんな雰囲気は確かにあったと思い返したものだ。
詩の言葉には迫力を感じたものの、作品が理解できたという手ごたえは覚えなかった(こちらの力量不足)。
その後は小説に転じて、時々文芸誌で名前を見かけるが読んだことはない。
2年ほど前だったか、文芸誌に梅崎がらみらしい長編小説が掲載されているのを見つけて買ってあるが、来春の定年後の読書の楽しみである国内外の名作の中に、この日和作品も入っている。
連休の余裕のせいか、つい長くなってしまった。
他でもない立大の院授業に出ていた昔の修了生が、初めての(?)論文をまとめたので読んで評価してくれというのを預かったままなので、こうしちゃいられない。