13日のゼミ  矢野利裕  町田康

すぐに記しておかないと、また忘れてしまうので昨日のゼミについて。
矢野クンの町田康論だから「想定内」の面白さ、或いは「想定」を超える刺激的な議論を聴かせてもらった。
このところ子育て(昨年第2子誕生)に励んでいたので、実に久々の登場だったオキヌが十分な準備をもとに鋭いツッコミをしてくれたので、矢野クンの応えが想定を超える面白さに達したという印象。
オキヌと共に昭和ゼミの「ツートップ」と言われたオハルが、仕事の都合で日曜なら参加できると期待したものの欠席だったその穴を、オキヌが埋めた感じでもあった。
夫君のソウタ君の子守りという支えもあって、親子4人で来校しつつもキヌちゃんはゼミに集中できた様子。
ボクのゼミは正規の授業でも子連れオーケーだったけど、この日も子供の声を聞きながらの議論だったので、子育て中の人もこれから遠慮せずに参加されたし!
用事のためヘイカが到着してのはゼミが終わってからだが、それでも参加しようとする姿勢は皆さんも学んでもらいたい。
それにしても矢野クンは飛躍的な成長を遂げていて感心するばかりだったが、町田の中でも特異な作品だという「一言主の神」が抱える問題性を分かりやすく論じてみせてくれた。
一言主の語りと幼武尊の語りとの「闘争」という把握は新鮮だったし(参加者には通じにくかったのでさらなる説明を要したが)、そこから《勝利したのは、〈語り〉そのもの、あるいは〈語られた言葉〉そのものである。》と結論付けた手際は、いかにも「評論家」ふうの見事な言い回しで納得させられたものだ。
ツワモノ揃いの参加者だったので、テクストの末尾の一文をめぐって議論が一段と盛り上がったが、矢野クンの使った言葉で言えばこれはテクストとしての不可欠な、でも一時的な「着地」なのであって、〈語られた言葉〉の運動は持続して行くと捉えればいいと思う。
矢野クン得意な芸能(落語・漫才)の言葉でいえば、「一言主の神」というお話し(テクスト)に〈落ち〉を付けたのがこの一文であると受け止めればいいのだと思う。
ボンペイサファイヤ自体の意味をいくら追求したところで、何も出てくるわけはない。
ゼミ終了後に矢野クンには伝えておいたが、この一文を始めとして町田文学を論じようとするなら、発表・レジュメには出てこなかった「ナンセンス(ノンセンス)」という発想も大事だと思う。
例えば名著『ノンセンス大全』(高橋康也)などから吸収すべきものがあると考える。
差入れも予告したヨーグルト(今まで食べてきたものと別物の味わいだった)と、3種類のクッキー類もそれぞれ美味でゼイタクな雰囲気、日本酒もヨリコさんから贈られた山口の銘酒以外にも2種類(贈り主不明)を楽しめた。
皆さん、ゴチソー様でした!
そして参加した方々、お疲れさまでした!
次回は8月20日過ぎを予定していますが(発表者は立教博士課程のクリマン君・昭和ゼミ前師範代)、学大のゼミ室周辺の工事のためいつできるか不明ですが、分かりしだいこの欄でお報せします。