アーミッシュ  フクシマ  ジャミラ 土光・経団連会長 (増補版)

最初はテレビでだったか、アーミッシュの存在を知った時の驚きといったらない。
20世紀(存在を知った時)の時代に18世紀の生き方を貫いている集団があるのだから、ビックリしない方がオカシイ。
多摩の山奥で(?)個人的に敢えてガスや電気も使わずに生きている人がいると聞いた時も、考え方には共感したものの、とてもマネなどできないと思ったものだ。
アーミッシュは宗教もからむのでもっと徹底しているし、個人で完結しているわけでもないからそれだけ難しい。
回りの世界は電気もガスも何でもあるのに、それらとは無縁な生活を貫いてブレないのだからコイツらには敵わなんと感激してしまった。
エライのは子供が成長すると外の世界に出るか止まるかを本人に選ばせるというのだから、文句のつけようがない。
詳しくは堤純子『アーミッシュ』(未知谷)を参照してもらいたいが、じつは学生にも読んでもらいた(学んでもらいたい)ので研究室で買ったのだが、退職したお蔭でやっと読めた。
研究室では(自宅でも)紙や電気の無駄使いに対して口うるさく小言を言っていたので、エコにやかましいオヤジだとその点では嫌われていた(いる)ことだろう。
だからこそアーミッシュのような生き方に人一倍感動してしまうのだろうが、特にフクシマ以後にもかかわらず電気を無自覚にムダ使いしているヤカラは許せない(家庭内不和のもと)。

家庭内の不和と言えば、前に年金生活者の「地獄」について誤解を招く言い方をしてご心配をかけたのでチョッと訂正。
退職金でローンを払おうと思えば大方は返せたのだけれど、緊急の場合に備えるための備蓄金に回されたために「地獄」を強いられているというのが実情。
同居人が「家計簿を拝む宗教」(前任校の同僚だったキヨタ君の名評)に凝っていて、むやみに将来の不安を駆りたてて備蓄に精力を費やせという教えに忠実だから、お互いが異星人の同居難民状態。
子孫のために美田(家土地)を残す気がまるでないイチロー君としては(家が商家のせいなのか、ヤクザを輩出する上州気質なのか?)、いざとなれば家土地を売れば済むと考えるので、越後の農家の出のせいか(?)美田を残すことにこだわる同居人と何事でも「和」することはない。
(ちなみに一人息子は早々とマンションをゲットしている立派な生活者。こんな両親からなぜあんなイイ子が生まれたのだろう?)
同居人は美田のみならず何でも手離すことができない性分で、例えば使いきれないタッパーが家中に溢れている。
不要なモノを捨てられないだけでなく、持てるモノを整理するという意欲(能力?)が欠落しているからタイヘン。
〈外部・他者〉の目を保持できないので家の中は散らかし放題、孫一家という〈他者〉が来訪すると家中の邪魔モノを自室に押し込んで立ち入り禁止にするので、この部屋はまるでジャミラの棲家(大げさな表現ではない)。
ジャミラとは田口ランディ『富士山』(文春文庫)収録の「ジャミラ」という作品の主人公で、いわゆる「ゴミ屋敷」の住人で周囲と役所を困らせている因業ババア。
私と息子以外は実状を知らないので役所を困らせることはないが、同居を強いられている身からすれば視覚的にも不快な上に、生活一般に支障が出てくるのでタイヘン。
これからはジャミラとお呼びすることにしよう(もちろん陰で)。
3月までは研究室では日常的に、時には授業中にでもついグチを洩らしていたが、それができなくなったせいかこんな所でグチが出る。
出始めるとキリがないので、このへんで。

キリがないとは言ったものの、その後の事例を一つ上げておけばジャミラとの共存の困難さが伝わることと思われる。
法外な出費で背負ったOMソーラーシステムを備えたものの、2人だけの生活にもかかわらず月々の電気代が1万円台半ばという非常事態を追及したら、ジャミラ電気屋を呼んでアンペア数を落とす工事をさせたものだ。
いつもは非を指摘されると相手の弱点を探し出して逆襲するだけで、問題自体の解決をウヤムヤにしようとするだけなので、今回に限っては電気代を下げるべく反応した点は評価できる。
珍しく今度は何とかしようという姿勢を取るのかと期待しつつ、普段から何度も指摘していたダイニング空間の電灯を減らすように伝えたものの、全く聞き入れる様子はない。
具体的に記さないと伝わりにくいだろうから説明すると、8畳分ほどの居間に連続する3畳分くらいのダイニング空間にテーブルがあり(全てジャミラのテリトリー)、その上に計5個の電灯が付いている。
ちなみに私の仕事部屋は8畳ほどの空間に4個の電灯が付いているが、その中の2個からは電球を抜いてあり、かつふだんは1個だけ点けて生活していて本を読むなどで必要があればスタンドの灯りを利用している。
このやり方は基本的にはフクシマ以前からのライフ・スタイルであるが、部屋を離れる際にはテレビ等のスイッチもマメに切るという姿勢も変わらない。
一方のジャミラはその正反対の姿勢を貫いていて、設計どおりに5個あれば全部点けないと気がすまない知恵の無さ(減らすように言っても全く聴き入れない)。
設計を墨守する頑冥不霊(ふれい)なのかといえば、冷気(暖気)が一階に洩れないような敷居板はいちいち開閉するのがメンドクサイというので、閉めるといたく立腹する。
要するにワガママ放題なのだが、自堕落な生活実態を知っているのは私だけなので、外向けにはキチンとした主婦を演じ通して他人の注意は聞きいれようとしない。
素直に聞きいれることができる親しい人がいればいいのだが、その類の人間関係を築けてこれなかったようである。
それでも切迫した年金生活の実状に気付かざるをえなくなったせいか、自分が風呂に入る等でいなくなる際の電灯やテレビは消すようになった模様ではある。
書いていると何だか空しくなってきたのでこのくらいにするが、アーミッシュで始めた駄文なので別の清貧の生活法を通した日本人の話で終わりたい。
ちょうどテレビで再放送していた故土光敏夫経団連会長の生活ぶりである。
土光会長といえば毎朝「目刺し3匹」をオカズにしていたことで有名だったのだが、若者世代は知らないのだろうと思うと残念な気がする。
今どきの経団連会長はそのツラからして卑しいけれど、出世してからは目刺しも食したことがない素振りである。
これに比べると土光さんの清貧を貫いた姿勢には圧倒されるが、テレビで初めて知ったのはご母堂が熱心な教育者で戦争中から当時の軍国主義教育とは別の学校を建てたりしたということだ。
「個人は質素に、社会は豊かに」というのが母から受け継いだモットーだそうだけれど、シビレル言葉だと感激したものだ。