ランボー訳は小林秀雄のものだった?

前に書いたブログ記事を確認しようかと思ったけれど、それが引き出せないので記憶で記します(とかく機械は私を拒否する)。
朝日新聞鷲田清一さんが「折々の言葉」という連載をしているけれど、読まずにいたら「地獄の季節」の有名なフレーズ「ときが流れる、お城が見える」というのを小林秀雄訳としているとケン爺(後述)から報されてビックリしたものだ。
私(たち)の常識からすれば、これはどう見ても中也の訳以外のものではない!
小林訳は「季節よ、城よ」という淡泊なものであって、念の為に旧全集や『小林秀雄全翻訳』に当たって見ても間違いない。
残念ながらどちらの「解題」とも、「地獄の季節」の書誌事項はキチンと記されているものの、訳文の変遷には触れられていない(新潮社新全集には「解題」でさえ無いというズサンでインチキな編集ぶり)。
ブログで鷲田さんの記憶違いを指摘したものの、朝日で訂正を出さないのみならず研究者からも何の反応も無かった。
天下の朝日と鷲田さんが何やっとんだ!? と思っていたら、メル友のケン爺(東京学芸大学名誉教授・日本語学)から最近の岩波文庫の解説で宇佐美斉という人が小林の訳に間違いないと書いてると教えてもらった。
今日か明日にでも本屋に行って確かめようと思っているけれど、小林は初出や初刊では明らかに「ときは流れる〜」という中也節で訳しているという。
小林が先行し、中也がそれにならったのだという指摘だそうだけれど長年小林や中也を読んできた者には、どうしても中也の調子にしか響かない。
他の中也の詩を想起すれば、「ときは流れる、お城が見える」などという甘ったるい童謡調は中也の独擅場(どくせんじょう)である。
「いく時代かがありまして、茶色い戦争ありました」と同列の調子なのは一目瞭然。
予断を記しておけば、中也が口ずさんだまま活字にする前に、小林が軽い気持でパクってみたものではないだろうか?
ともあれ「ランボー中原中也」とかいう著書もあるという宇佐美さんの指摘を読むのが楽しみである。
ひょっとしたら論争になるかも?