学会発表の印象記

発表を「聴く」のだけれど、音楽じゃないから「読む」欄に。
学会の「近代天皇制と文学」というパネル発表を聴きに行ってきた。
同時刻の別のパネル発表同様に客の入りがいいのでビックリ。
こちらは林淑美・山田俊治・宗像和重谷川恵一・(司会)中川成美というソーソー(ソーローじゃない)たるメンバーだから、聴きたがる人が多いのは当然といったところ。
シュン爺の発表は福地桜痴森鴎外「百物語」に出てきたかな?)の言説から関係する資料を細かく紹介してくれたけれど、いつものように間もなく熟睡に入って目覚めたら次の発表も半分ほど進んでいた。
おススメした特集だったけれど、若手の卒業生たちが不参加らしく眠っている姿を見られなくて良かった(ここで言っちまったら同じことだけれど)。
シュン爺の発表は以前聴いた時のような大まかな捉え方を示すのではなく、桜痴のテクストを細かく解説してくれるのだけれど、発表のモチーフが伝わらないもどかしさのまま睡魔に敗北してしまった。
宗像さんのは途中から聴いたので、これも何を伝えたいのか理解できなかったけれど、こちらの責任だから仕方ない。
リンリンのは大本教などについて考察するというので期待したけれど、長大なレジュメに現れているようなそこに至るまでの前提(?)に時間と費やし過ぎて(いつもどおり?)、肝心な話は聴けなかった点では学生の反面教師となる発表だった。
でもレジュメには懐かしい高橋和巳邪宗門」も引かれていて懐かしかったし(吉本隆明が〈知識人の大衆小説〉と呼んだもので一読をおススメ)、他にも資料としてとても役立ちそう。
谷川さんは未知の方だったけれど、珍しい天皇小説を紹介してくれて、これが一番聴いていて楽しかった。
名簿を見たら資料館勤務の方だそうで、珍しい資料に接しやすい身分を存分に利用しつつ、研究成果をこういう形で発表してくれるのは歓迎だ。
質疑ではサナミさん(鈴木貞美さん)が天皇制についての自身の見解とのズレに基づく不満を述べていたけれど、「会報」で日本資本主義論争には触れないと明言しているのだから無い物ねだりの印象だった。
講座派だとか服部之総だとか懐かしい語彙が飛び交って刺激的で楽しめたけれど、議論が深まる方向ではなかったのはザンネンだった。
これも懐かしい小泉浩一郎さんも宗像さんに質問していたけれど、「忘れえぬ人々」の冒頭部分の読みが欠落しているという指摘を素直に認めて謝っていたのは、センパイを立てる宗像さんの弱気過ぎる人柄が出てしまっただけに終わった感じ。
(寝ていて聴いていないのに言ってしまうと)、小泉さんは(ボクの大事にする)テクスト細部の読みに拘った質問をしているのだから、今回のテーマに合わせた宗像さんの発表では覆いきれないのも当たり前。
それだけを応えれば済むものを長々と弁明するのは、時間の無駄だけではなく発表自体を自ら貶めるような印象を与えるので宜しくない。
客入りが多かったのは駒場の一般学生の参加もあったせいかと思わせる質問があって、サナミさんがキツクした場内の雰囲気を和ませてくれた。
「自分は今の天皇家が国民を癒してくれていると思うが、発表者はどう考えるか?」という質問に対して、リンリンが見事に応じていた。
(まるで朝日新聞上野千鶴子の人生相談の回答のように切れ味鋭く、またオモシロかった。ご両人とも丸くなった感じで、その分説得力が増したナ。)
リンリン曰く、「あなたは癒されますか? 私は癒されません。」とだけで場内を笑わせてくれた。
若き日のリンリンならトゲトゲしい言葉で相手をフンサイしかねないところだったけれど、笑いを取るところから始めるのは絶妙だった。
もちろんその後に天皇制についての自説が続いたのだけれど、発表が中途半端だったのをカヴァーした形だった。
帰りは渋谷の東急ハンズに寄って、板塀のペンキ落としのヤスリとその道具をゲットできたのは学会参加以上(?)の収穫だった(眠ったせいかナ)。
それにしても便利な道具が売られているものだ。