ドストエフスキー  亀山郁夫  放送大学

昨夜は深夜2時半に呑み始めて5時前に寝たのだけれど、朝目覚めてからは起き上がる元気が出ないままテレビで放送大学を見ていた。
最初は10時半からの「地球の科学」とかいうシリーズの最終回で、分かり易いので好感度の高い海部宣男先生の講義を楽しんだ。
太陽系の惑星の中で、地球が奇跡的に生物が発生し得た理由を詳しく教えられたのはとっても大事な知識で、今後皆さんに広めながら生かしたい。
次に想定外の特別講義で、亀山郁夫さんのドストエフスキー論が聴けたのは幸いだった。
この人は露出度が高いけど、別にロシア文学あるいはドストエフスキー研究では2線級のレベルの人で、それが一目瞭然だったのは『ユリイカ』かなんかのドストエフスキー特集で望月哲男との対談だったのは前に記した。
月氏(氏を付けるのもよそよそしい学生時代の友人で、バフチンドストエフスキー詩学」の訳者)こそ日本のドスト研究の先端を行く研究者だろう。
ともあれ亀山さんの取り柄は至って分かり易く解説してくれるところで、望月には苦手なところだろう。
亀山さんの話で聴いた甲斐があったと思えたのは、「罪と罰」について語りながら〈黙過〉と〈共苦〉という言葉で説いていたのに共感を覚えたからだ。
弱者を見ても見ぬふりをするというのがドストにはできなかった、むしろ弱者と共に苦しむことを選んだのがドストなのだという主張は賛同できる考え方だ。
今までにも何度か記してきたけれど、迷ったら弱い方に味方しろと言ってきたことと重なるからだ。
男より女(その他の男以外の人たちも含む)、教員よりも学生、日本人よりも留学生、大人よりも子供、ブルジョアよりも貧乏人・・・
ボクが在職中にセクハラやパワハラを受けていた女子留学生のために闘ったのも、〈黙過〉できなかったからだ。
あの時に〈黙過〉した教員たちが信じられないので、彼らと一緒に安保法制反対の署名簿に名を連ねたくなかった次第。

それにしても死ぬまでにはドストの主要作品を再読したいと熱烈に思っている。