アゴタ・クリストフ  坂口安吾「吹雪物語」  坂口安吾研究会

「読む」で思い出したけど、今年だったかノーベル文学賞を受賞したアゴタ・クリストフについて偶然読めたのでおススメしておきたい。
自家で卒業生に上げる本を探していたら、昔(たぶん古書店で)買っておいた新書・稲垣直樹「サドから『星の王子さま』へ フランス小説と日本人」(丸善ライブラリー、平成5年)をみつけ、目次を見たらアゴタの名があったので読んでみたらとっても面白そう!
各章の最初に「日本人の読み手」を紹介しているのも独特な本で、菅野昭正・池内紀池澤夏樹沼野充義川本三郎という読み巧者たちの名が列記されているのを見れば、スゴク読みたくなるものだ。
代表作とされる「悪童日記」ほかの3部作について書かれているけれど、何よりも《文体は、粉飾どころか、通常、小説に不可欠とされる要素まで削りに削って、研ぎすまされた刃物のような恐ろしさを見せる》と言われれば、絶対に読みたくなるものだ。
とはいえ《これを雅やかにやれば、マルグリット・デュラスの、例えば、『モデラート・カンタービレ』になってしまう》と続くのだが、デュラスのこの作品は学部2年生(入学4年目なのに2年生)の時のフランス語のテキスト(富永次郎とかいう先生)だったので翻訳本を買って誤魔化した程度の語学力だった上に、翻訳本の「文体」の素晴らしさ(確か澁澤龍彦が保証していた女性翻訳者だった)に全く気付かずに、試験が終ったら翻訳書を今は亡きトンペイ(佐々木陽太郎)に上げてしまったのだから、アゴタの文体の良さが理解できるとは限らない。
もっともあの頃は、自分が文学研究に進むなどとは思っていなかったけど。
文体といえば、19日の安吾研究会に備えて今「吹雪物語」にチャレンジしてやっと読み終えるところなのだけれど、本当にヒドイ作品で無駄に長くクドクドとどうでもいいことをダラダラと書いているので堪らない。
3日ほど前に必要があって「失われた時を求めて」の冒頭を読み返したけれど、その充実した文章に讃嘆したのはクダラナイ「吹雪物語」のお蔭かもしれない。
「風博士」や「白痴」の冒頭のような煮詰まった文章を書ける人が、何故「吹雪物語」のような習作を出版して汚点を残したのか、例の女がらみのようだけどクダラナイ話だ。
〈量より質〉だよ、安吾クン! とボクのモット―を教えてやっても今さら仕方ないけど。