15日の感想  有島武郎の問題

有島の作品を読むのは実に久しぶり、これを契機に今まで読んだことのなかった「星座」という未完の長篇も半分ほど(初出の「白官舎」を超えた箇所まで)読んでみた。
内容はともあれ、いつもながら文章の上手さは感じられたが、達意の文章が行き届きすぎて貧相な結果をもたらしている感じも持った。

ヒグラシゼミは未発表のものに限るということにしているものの、今回はそれと知らずに既発表のものを出してしまったが、ケガの功名で久しぶりに有島の文学と問題にあり付けたという感じ。
とり上げられたテクストは対話形式のレーゼドラマではあるものの、「独断者」がその名のとおりハナから自己を変革する気が無いので対話が発展しないツマラナサは参加者誰もが感じた模様。
しかしレジュメに挑発されて様々な意見(異見)が提示されて議論が盛り上がり、いつもは遅くとも5時半までには終わるのが6時まで続いた。
お蔭でレポーターとしてはたくさんの宿題が得られただろうが、有島が情死する直前の作品のせいもあってか「独断者」の動揺のためにスッキリしないテクストになっている。
例えば最後にナオさんが提起した疑問であるCの母親と赤ん坊の場面で、この場だけは他と異なり対話者が厳しい突っ込みをせずに融和的である意味、母親と赤ん坊が「独断者」に対して持つ意味がハッキリしない。
個人的には「純粋な労働者」(Gとの場面)の「純粋」と赤ん坊が表象する無垢が響き合う印象を持ったが、翌日レポが言及した「骨(こつ)」を読んでみたら、主人公の位置にある勃凸(ぼっとつ)の「無邪気」な荒ぶる自然児らしき「生命」の様相が「純粋な労働者」や赤ん坊に重なってきて、自分だけで納得していた。
小林秀雄が絶対的な価値を置くものとして「子供(らしさ)」が上げられるが、例えば文壇の問題児だった林房雄を弁護しながら「子供」呼ばわりするのと同じものを有島に感じてしまう。
「小説家であること」を問うという新しい問題提起をしたレジュメであるが、このテーマだけからの連想で言えば、理屈では解決しえない問題をギリギリの地点で「書く」ことで乗り切ろうとしているという意味で、中野重治「村の家」の安吉と重なってくる。
久々の参加となったナオさんのお約束の手製ケーキ(今回はレモンケーキ)の美味を感じながらのゼミだった。