SEALDsと政党

明日は参院選で「選挙よりも占拠」の世代ながら投票に行くナラワシになっているのだけれど(子供が成長するまでは行かなかった)、ご多分に洩れず「支持政党無し」だと毎回迷うことが多い。
小政党が乱立しているのに驚いたけれど、それ以上に共産党の集会でSEALDsのメンバーが応援演説しているニュースを見てずいぶんと失望した。
この反戦的若者集団が政党に依らぬ運動を展開しているのは「明るい未来」につながると期待していたけれど、反戦という主張が同じだというだけの理由で政党と協働してしまうと、シールズ自体の美点がボカサれる危惧が生じてしまう。
そもそも主張に反しないというだけなら共産党以外も考えられるので、共産党だけに絞るのは大いに疑問が残る(どの政党にするかという線引きも混乱を招くばかりだろう)。
共産党からの働きに乗って一部のシールズが丸め込まれたというのが実情に違いないのだろうけど、集団全体で政党との関係・距離の取り方を突き詰めて論議しておかないと、シールズも分裂を繰り返しながら自然消滅してしまうのがオチだろう。
丸め込まれた一部が将来有力な共産党員として活躍する、という可能性だけが残るという共産党の目論見大成功というデジャ・ビュ(既視感)の光景だ。

学生時代の闘争でも、無期限ストライキを主張し続けた全共闘と、全共闘に一貫して敵対し続けた民青(共産党支持学生)の狭間(はざま)で、一時的に「クラス連合」というどっちつかずの学生たちの集団ができた。
気持的には当局の学生処分等には反対ながらも、全共闘学生のように大学を「占拠」するほどの行動には踏み切れない、「客観主義的な学生」たちが集まったのが「クラス連合」だった。
「客観主義的な学生」が集まっても当然運動主体にはなれないから、いずれ全共闘か民青に二分されて消滅してしまい(全共闘の集会で新品のヘルメットを被り、自己批判して全共闘に加わると宣言した元「クラス連合」の学生の姿は痛々しかった)、多くは秩序回復を狙う民青の動きに吸収されて終わった。
「クラス連合」の代表の一部がいつの間にか民青と区別が付かなくなったのは、意外でもなんでもなかった。
己れの将来や肉体を賭けて闘うのは容易であるはずがないから。
シールズが既成政党に吸収されずに運動を継続していくのは、そうたやすいことではないと自覚しておいた方がいい。
イギリスの国民投票という形の《直接民主主義》はマイナスの結果を生んだという評価が多いけれど、政党政治という間接民主主義(代議制)の行き詰まりを打破しようとしてデモ等による《直接民主主義》を生き抜こうとするなら、シールズは自立を目差して身を潔白に保つ努力を怠ってはなるまい。
自分の美点・長所に無自覚な者は、いずれ他人に振り回されるほかない。