朝鮮人大虐殺  差別意識  関東大震災  萩原朔太郎

大阪の寿司屋が韓国人の客に「ワサビテロ攻撃」をしたというニュースを見て、その陰湿な嫌がらせに目の前が暗くなったものだ。
大阪人の、あるいは日本人の朝鮮(人)コンプレックスの現れだということが否定できない証拠写真も写されていて、「情けない日本人」の差別意識が露わにされているからだ。
修業抜きに握っている低能な寿司屋店員(職人ならそんなバカなことはやるまい)に限られた意識ではなくて、残念ながら日本人の意識の奥深くに巣食っている差別観だと思う。
朝鮮人・中国人の意識の根底に、戦前日本人にやり放題イタブラレた恨みツラミが残っているのも仕方なかろう、それだけのことをやってしまったのだから。
それほどヒドイことができたのも、自覚(自己相対化)されない差別意識があったからだろう。
中国(人)が南(と東)シナ海が己のものだと勘違いして好き放題しようとしているのも、多民族に対する根拠の無い差別意識(自民族優越意識)に支えられているからだと察せられる。
さらにアメリカが広島・長崎に原爆投下に踏み切れたのも、日本人(広くは東洋人を始めとする白人以外の人種)に対する差別観に支えられていたと推察できる。
差別意識は自覚しながら自分を十分チェックしていないと、すぐ漏れ出るから気をつけてなければなるまい。
メルケル・ドイツ首相が国民の不評を買いながらも難民を受け入れようと努力しているのは、単に浄罪意識に止まらずに戦前の自国民が多民族に対して犯した罪悪をくり返さないためだろう。
そもそも中東問題の基本作りをした20世紀半ばの帝国主義の英仏が(中東の土地に勝手に国境線を引いたり、複数の民族をだまして操って対立を煽った)、難民を拒否する権利も倫理もありはしないのだから、ドイツの姿勢にならうべきだろう。

前振りが長くなってしまった・・・
関東大震災のことをチョッと書くつもりだったのだけれど、果たせぬままになっている。
2週間ほど前だったか、在職中からの「悲願」だった古新聞の切り抜きが入った段ボールの1つを整理したら(井上ひさしは整理しきれないと分かった時に2万枚ほど処分したと聞いたことがある)、関東大震災に紛れて行われた朝鮮人大虐殺を取り上げた珍しい本が紹介されている記事を発見した。
我ながら情けないことに年月日が記されていない、まるでシロウト(他の切り抜きにはほぼ記されているのに)。
クム・ビョンドン(朝鮮大学校講師)さんが編集した『朝鮮人虐殺に関する知識人の反応』(全2巻、緑陰書房)というものだけど、紹介されている作家たちの反応が興味深い。
田山花袋は、自警団に追われて庭の縁の下に逃げ込んだ朝鮮人を《引きずり出してなぐってやった》という「武勇伝」を語ったという。
徳富蘇峰は検問の自警団から顔が朝鮮人に似ていると言われ、「侮蔑」されたと感じたとのこと。
もちろんザンネンな反応だけではない。
寺田寅彦が批判的に記しているのは言うまでもないが、竹久夢二も流言飛語や殺人を「傍観」する人々を冷静に判断している。
萩原朔太郎が《朝鮮人あまた殺され その血百里の間に連なれり われ怒りて視る、何の惨劇ぞ》という詩句を残しているとのことだけれど、知らなかった。
同郷の詩人ながらもツナガリは感じない朔太郎ではあるけれど、全集を通読したいというのも「悲願」の1つ。