川上勉『高見順 昭和の時代の精神』(萌書房)  磯田通史『武士の家計簿』

14日に学大に行った帰りに、いつもどおり国分寺の七七舎(しちしちしゃ)という古書店に寄った。
狭い店の中に興味深い本が沢山並んでいる点では、今は無き国立の谷川書店と似ている。
充実している店先の100円コーナーで『岩波講座現代社会学』の4と5をゲットしてから、店内で(アマゾンで買うのを失敗した)磯田通史『武士の家計簿』を200円で購入、やっぱパソコンを介さずに直接取引した方が手応えがあり人間的でよろしい。
困ったのは川上勉(立命館大学名誉教授)という人の高見順論(萌書房、2011年)があったこと。
大好きな作家であり、昔2本論じたことがあるので、見逃すわけにはいかなかった。
小林秀雄論にしても太宰治論にしても、紙クズ同然のロクでもない本がフツーに出版されてしまうので、興味のある文学者について書いたものは無視できないので困るわけだ。
買いためた小林や太宰に関するクソ論は少しずつ欲しい人に上げているけれど、高見順論のイイところは数が少ない点だ。
それもあまりヒドイのは無いと記憶する(丁寧に読んでない)けれど、この川上氏のものは「故旧忘れ得べき」論の出だしを読んだだけでお粗末すぎて読むに耐えない。
よくもこんな低レベルのクズを出したものだと出版社の見識を疑う(以前、信頼していた彩流社オソマツな小林論を出したので幻滅したことを記したのと同じ気分)けれど、海外の文学の専門家らしい筆者がツマミ食いのような気軽さで日本文学について書くのが間違いの元。
いや書くのはイイけど、出版しては紙資源と(読む人の)時間の無駄使いになるので自粛してもらいたいものだ。
ゴミ問題は世界の悩みのタネではあるけれど、紙クズのゴミは書く方と出す方のどちらか一方が自省する能力があれば防げるのじゃないかな、そうありたいものだ。

川上本の不快さを十二分に解消してくれたのは、磯田通史『武士の家計簿』(新潮新書、2003年)だ。
磯田さんについてはBSプレミアムの「英雄たちの選択」のMC(である以上に作り手)として何度も紹介してきた通り、素晴らしい歴史家だ。
彼のデビュー作となったこのベストセラー本まで読む気はなかったけれど(これを元にした映画を見たし)、磯田さんに対する興味で(安価なら)買って読んでみようという気持になった次第。
帰りの電車の中で「はしがき」を読んだら、売れた理由が分かってくる感じが伝わってきた。
頭が疲れた時など、続きを読んでいくことにしよう。