【近況】墓参  前橋空襲  ナガサキの日

 珍しい2日間の掃除疲れのせいで、昨夜はけっこう眠れたヨ。お蔭で元気に前橋まで墓参行ができた。前にも記したように、以前は前橋駅からお寺(墓)までタクシーで往復していたけれど(6~7000円くらいだったか)、何だかヤッツケ仕事みたいに思えてきたので、退職後の最近は電車を乗り継いでから寺まで往復4~50分ほど歩いて墓参することにしている。今日も2度目の雨中の墓参となったけど、釣り部先で買ったサンダルが滑ることがない底だったので、今回は滑って転ぶことがなく無事帰宅することができた(慣れないのでマメができたけど)。時間の余裕もあったので、線香を焚く石造りの器物のコケを落とすなどの掃除もできた。自家でも墓参でも掃除の日々とは笑えたネ。

 往復の電車内では、元気だったお蔭で往きは平野啓一郎「Re.  依田氏からの依頼」をジックリ読むことができた。ヒグラシゼミでナオさんが発表した作品で、ナオさんが論文にまとめているものを読ませてもらっているので、再読はとても刺激的だった。イチロー語録の「酒とオンナは1日おきに限る」のとおりで、同じものを読んでいると飽きるので、帰りは吉田秀和「世界の指揮者」と「高見順日記」を読みながら帰った。往復とも時々昼寝をしながら無理しない読書だったので、とても楽しかったナ。

 祖父は早く亡くなったのでお互い知らぬ仲ながら、祖母とはバアちゃん子でなついていたし、両親とも高校時代からの1時期を除くと稀にみる孝行息子と思ってくれているのを確信しているので、墓の中の人たちも墓参を喜んでくれたのは伝わってきたネ。ただ前にも記した、前橋空襲の8月5日に15歳で亡くなった叔父(父の一番下の弟)の骨が墓下に納まっていたかは確信がない。親の骨を納める時に確認した骨壺の数には入って無かった気もして、いっそうこの叔父が哀れでならない。

 この叔父を強く意識するようになった機縁は退職記念口演で、ボクの半生を語れという要望に応じて調べていて改めて出会えた血縁だネ。口演の機会を与えてくれた関係者の皆さんには感謝の言葉もないし、8月9日生まれの孫がこの叔父の生まれかわりのようにも思えてきて、いっそう可愛く大事な存在に思えてもきたヨ。もちろんそれはボクだけの気持だから、孫と息子夫婦には内緒なのだナ。長崎被爆の日である8月9日生まれの孫に、先日手許にあった大好きなベン・シャーン第五福竜丸の絵本を贈ったヨ。これもボクの勝手な思いとしてはナガサキと孫を重ねて思うというだけなので、ナガサキのことは触れずに原爆・水爆の一般論だけは伝えながらのプレゼントだったのだがネ。余計なモノを背負わせるのは、他人の勝手なプレッシャーなのでいっさい伝えないでの贈りものだネ。孫には孫のジンセイがあるわけだから、尊重しなければならないのは当然だヨ。