【読む】中野翠(コラムニスト)①

 時々紹介する朝日新聞の連載記事「語る—人生の贈りもの」は、9月初旬から中野みどりというコラムニストを取り上げている。以前は朝日の書評欄を担当していて、なかなか鋭い切り口で書評していたと記憶する。文庫本を1冊持っているのは確かだけど、読まないままロフトのどこかに放置したままなのでこれを機会に読んでみようとは思っている。というのもボクより何歳か上の女性(女性ゆえにハッキリ書かないのが礼儀かな)ながら、読んでいると同じ時代を生きた人という感じがよく伝わってくすぐったくなる時がある。

 第3回(6日)の記事によると、浦和第一女子高(群馬など北関東と同じく男女別学の高校がフツーだった)の若い国語の先生が高校の先輩でもあり、その先生が60年の反安保の運動に参加していたのに影響されてか、コラムなどでよく「立派な左翼になりたかった」と書いているそうだ。チョッと笑えるけれど、ボクも前橋高校1年生の地理の授業中にベトナム戦争にジッとしていられず、脈絡もなく挙手して「ボク等はどうしたらいいのでしょう?」と質問してしまったのを覚えている。高野先生は困った表情で何か言ってくれたけれど、たしなめられたという記憶はない。

 中野さんが中学2年の時に日本社会党浅沼稲次郎という委員長が、講壇に上り込んだ右翼の少年(17才で山口おとやという名だったかな)に短刀で刺殺された事件が起こったので、親から刷り込まれた以上に右翼が嫌いになったという。この事件は小学生だったボクの記憶も鮮明で、犯人がその後留置場だったかで自殺したという報道も右翼(と結託した自民党政治屋)が少年を使って起こしたと思い憤ったものだ。右翼テロは戦前に激しかったものの、戦後も無くなったわけではないので息がつきにくい感じだったネ。

 中野さんは図書館で「今日のソ連邦」という雑誌を読んでいたどうだけど、ボクも高校1年の同級生(小池クンで父親が進歩的だったのを知って)にこの雑誌の出版先を聞いて自宅に送ってもらっていたネ。当時のソ連のイメージは、フルシチョフスターリンの暗黒時代から解放されて「雪解け」の明るい印象だったしネ。

 

@ 簡単に書き終わると思っていたけれど、長くなりそうなのでいったん切るネ。