噴水の無い学大なんて!  女子学生を名前で呼ぶな?  FD委員会

国分寺の内科で血圧の薬をもらうので、月に1度は学大に寄ることにしている。
正門を入るとすぐに中央に噴水がある広場(?)があったのだけれど、1年以上前にすべて板で覆われてしまい噴水も無くなってしまった。
未だに違和感が拭えないけど、同じ思いを誰かが言っていた(賀状に書いていた?)ので馴染めないのは自分だけじゃないものと知った。
噴水で忘れないことが2つあり、1つは岩田重則という社会科の教員が、学祭の時に広場だ催される音楽祭終了後に、学生たちが噴水に飛び込むのを止めに入って顰蹙を買ったという件で以前にも記した。
岩田氏はそもそも野外で音を出すのが自分にとって迷惑だという前提があったので、学生の伝統的な愚行(飛び込み)を止めさせることで事故から守ったと勘違いするほどの、自閉的な大学教員の典型のようなモノ。
もう1つは水不足が話題になっていと時に、噴水は自粛した方がいいのでは? といかにも教員らしい意見を教授会で述べたモノが出たことがあった。
噴水の水は井戸水を循環していたのだから、そこまで自粛(というか萎縮)しなくても済むというのは後で判ったが、自粛のムードが支配的だった教授会で佐藤正光センセイ(愛称は薬局にある象のサトウちゃん)が吐いた名言を忘れない。
「水はそれ自体で心を癒す効果があるのだから、噴水は止めるべきではない。」と孤軍奮闘した形だった、というか大方から無視された発言だったが、個人的にはよく覚えている。
酒には強くて酔わずにシッカリしているが、ふだんはボーっとした感じの愛嬌のある人なので、これほどシッカリした事を考え発言できるのを見て驚いたものだ。
だから学大に行って噴水が無くなっている物足りなさを感じるとともに、いつもサトウちゃんの発言を思い出す。

建て前ばかりの言動で自己保全を図っている教員が多い中、佐藤氏は学生に伴走できる人と言えよう。
専門でもないのに女子バレー部の顧問を引き受けて、時々体育館に通っていると聞いて呆れたこともある。
1ケ月前くらいだったか、もう忘れ去られた事件となってしまったが、生徒が発していたSOSのサインを担任の教員が理解できず(無視して?)ミスミス自殺に追いやったことがあった。
生徒に対して心を開かずに、「今度の○○に備えて頑張りましょう」などと言って済まそうとする建て前が自己目的化されると、こういう悲劇が繰り返されることになる。
大学教員には殊にこの自己目的化に囚われて現実的な対応ができないモノが多いので心配。
学大だったかのFD委員会が、「女子学生を姓ではなく名前で呼ぶのもセクハラだから自粛せよ」とかいう案を出したことがあった。
授業時間以外は、男女を問わず名前や愛称で呼んでいる私は、委員会の説によれば最悪のセクハラ教員ということになりそうだけれど、セクハラ教員を退治したり自粛させたりしたことはあるけれど、学生からセクハラで訴えられたことはない。
もちろん当の学生が嫌がれば別の呼び方を相談して決めているのでご心配なく。
留学生の中では当初から目立っていて博士号まで取得した呉(オ)さんをオッサンと名付けたら抗議を受けたので、東女の近藤ハカセ達のご教示を賜りながらオッチャンに変更したのが一例。
その他パン君もペロリンなども本人の希望で変更して今に至っている。
FD委員会のみならず、大学の教員は建て前に囚われすぎて学生との間に近しい関係を築けずぬまま、自分のハードルを高めて近寄れないようになりがちだ。
これほど心の病を強いられている学生が多い時代はないのだから、つまづいた時にすぐに相談に乗れるようにしていないとミスミス自殺に追いやった教員の二の舞となる。
ミスは1度に止めたい。