金子光晴「おつとせい」

先日、作品名だけ記した大衆批判詩「おつとせい」の冒頭2行と最終聯(連)だけを上げておきます。
昭和10年という厳しい時代にも拘らず、金子が天皇制批判(「灯台」)や日本人の心性批判(「紋」)など強烈な批判精神とメタファーを駆使した手法で、ハイ・レベルの詩集『鮫』を出版したのは時代に抵抗する「おいら」たちにとって誇りだ。
岩波文庫などや現代詩文庫(思潮社)で、ぜひ感動してもらいたい。

そのいきの臭えこと。
くちからむんむんと蒸れる。
 (略)
だんだら縞のながい影を曳き、みわたすかぎり頭をそろへて、拝礼してゐる奴らの群衆のなかで、
侮蔑しきつたそぶりで、
ただひとり、
反対をむいてすましてゐるやつ。
おいら。
おつとせいのきらひなおつとせい。
だが、おつとせいはおつとせいで
ただ
「むかうむきになつてゐる
おつとせい」

@ 実は今、放送大学の「世界文学への招待」というのを聴きながら記している。
  第1回は聴き逃したけれど、今日は第2回でラテン・アメリカ文学の紹介なんだけれど、有名どころの作家でないのでほとんど興味を惹かれない。
  あらすじ中心のせいかナ、つい金子の作品を引用してしまった次第。