宮澤隆義  『群像』12月号  七七舎

『群像』が地元の本屋では無かったので、今日内科に薬をもらいに国分寺に行ったついで駅ビルの紀ノ国屋に寄ったら有った。
ぜん息の呼気数値が500に満たなかったのが、このところコンスタントに超えるようになったのは我ながら驚き。
ともあれ『群像』の新人評論賞の受賞者写真を見たら、紛れもなく宮澤隆義クンだったのでザーッと立ち読みしたら、興味を失った大江健三郎論ながら「われらの時代」から論じていたのでチョッと面白そうで買おうかな?
でも今また大江論などに浮気をしているヒマは無いからと思い直して、いちおう気になっていた「トム・ジョウンズ」論なども見ようと思っていたら、佐々木敦という人が「「一人称」の発見まで」という論を連載で載せていた。
こりゃ面白そうだと思っていたら、先日ハカセに面白いから勧められた「コンビニ人間」論まで載っている。
他にも種村弘などの興味深い論や舞城王太郎の小説などが掲載されているので、こりゃお買い得だと思って買ってしまった。
ヘンな言い方をしてしまったけど、これで宮澤論も読めるし「トム・ジョーンズ」の断片とその論も覗けることになった(けど時間があるかな?)。
トム・ジョーンズ」は興味があるのに入手しやすい本が見つからないので困っていたので、引用だけでも読めるのは嬉しい。
ともあれ、12月号の『群像』は内容が充実していてとてもお買い得なのでおススメ。

いつも寄る七七舎という古書店に行ったら相変わらずイイ本が100円で並んでいた。
なんとハルキの「色彩と持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」も100円、すぐゲット。
ハルキの本は5年経ってから読むというのは、100円で読めるようになるからだけど、かなり関心が薄くなっているので読むのはいつになるやら。
文芸誌『月光』1(2009年)というのが中原中也特集でこれも100円、宇佐美斉さんのランボーがらみの論が載っているのでゲット。
この人は「地獄の季節」の中也訳には小林秀雄の訳の影響があると論じているけど、まるで中也の語調の訳なのに小林訳だと言っているのに疑問があるから買っておいた次第。
「円本」と言って分からない人は非常識だと自省してもらいたいけれど、第49巻の「戦争文学集」があったのでゲット。
昭和期の戦争小説はたくさん揃えてあるけれど、なかなか明治期の戦争文学はお目にかかれないのでラッキーだった。
「肉弾」「銃後」その他がいつでも読める態勢になったのはいいけれど、これ等もいつになったら読めるやら。
楽しい買い物ができたからというわけでもないけれど、帰りは予定どおり国立の「ののわ」で大粒カキフライとイカフライをゲットして帰宅そうそうビールで食した、シアワセ!