鈴木登美『語られた自己』  星野紘一郎

先般のヒグラシゼミで発表者のマンジュが参考文献として真っ先に『語られた自己』を上げていたので、まずはその点を評価したいと思った。
葛西善蔵など私小説を論じるなら必需品なので、知っていて安心した。
2000年に出た本でけっこう話題になっていたらしいのだけれど、ボクが知ったのは遅かったと思う。
何かのきっかけで知って「和解」論の章だけ(?)をコピーしておいたまま読まずにいたら、退職記念の口演(講演ではない)の時に卒業生が本を返却してくれて初めて買ってあった(いつ?)ことが判明した。
在職中はどうしても教育の方が先行してしまうので、必携本でもなかなか読む余裕が持てないのでこんなハメになる。
退職したらと思っていた矢先にマンジュが取り上げてくれたので、この際に通読しようと始めたところ(ながら進まない)。
それにしてもこんな優れ本がいきなり出現した印象なのだが、誰が発掘したのかと思って今度「あとがき」を読んで納得できた。
《出版に際しては、岩波書店編集部の星野紘一郎氏にたいへんお世話になった。》とある星野氏こそ、ボクに(歴史に残る)「和解」論を書かせた御仁だからだ。
鈴木氏が数ある「和解」論から竹盛天勇・山田有策とボクの論を取り上げているセンスの良さは、実は星野氏の「入り知恵」だったかもしれない。
編集者が今の歴史専門の人になる前、星野氏が編集していた頃の『文学』には強烈な〈文学〉の香りが漂っていたものだ。
まさに文学研究の歴史が変って今や『文学』からは〈文学〉の香りが失われてしまったが、そのくらい存在感がある人だった。
のみならず、というかそのまんまなのか柴田南雄(文学的センスもある作曲家)に強い関心を抱いているように、極めて好奇心旺盛な知識人で圧倒されたものだ。
文学研究にとってベル・エポック(古き良き時代)を支えていた歴史に残る人である、記憶されたい。