歌劇「サロメ」  フロベール

先日N響アワーの「サロメ」についてチョッと記したけど、書いておきたいことはまだまだある。
なぜ拘るのかと顧みると、院生だった独身時代の余裕で、ウィーン・オペラが来日してこの演目を上野でやった際に、高額のチケットを買って聴きに行ったのだネ。
大体のストーリーは知っていても、今と違って当時は日本語訳の字幕は出ないから詳細はチンプンカンプンであまり楽しめずに口惜しかったナ。
サロメ役はヨーロッパ講演で評判だったベーレンスじゃなかったと思う。)
その前後にはFM放送でカラヤン指揮の演奏で録音してあったと思うけど、これもドイツ語が全く分からないから詳細は不明だった。
今度はテレビで日本語訳が出ていただけでなく、文庫を見ながら聴いていたのでよく理解できて楽しめた。
演奏の前に指揮者のデュトワサロメ役の解説が流れたけれど、サロメ役の歌手がサロメは悪女としてではないとする解釈がとても面白くて共感できた。
一般的なファム・ファタル(宿命の女)としてではなく、フツーの女性として理解するというもの。
ベルク作曲の「ルル」もファム・ファタルとして「サロメ」と共通するということのようだけれど、幸い原作のヴェデキント『地霊・パンドラの箱』(岩波文庫)が書棚にあったので後で読んでみよう、録画を観ながら。
フロベールの「ヘロデア」も蓮実重彦さんの訳(講談社世界文学全集17)で途中まで読んでいるところだけれど、これは表題のとおりサロメの母親を中心化した物語のようだ。
フロベール生田長江の訳(?)が初期横光の文体に多大な影響を与えた「サランボー」がポエニ戦争を素材にしているというので買ってあるのだけれど、「ヘロデア」もこれと同様の歴史小説ということなのかな。
「マダム・ボヴァリー」のイメージが強烈過ぎて、フロベールが歴史物を書いたというのが素人にはピンと来ないナ。
でも「ヘロデア」は面白く読んでいる、歴史的背景に無知なのでなかなか読み進めないけれど、蓮実さんの注が参考が助けになる。
そう言えば塩野七生さんの「ローマ人の物語」も単行本でほとんど買い揃えてあるのだけれど、昔シーザーが登場する前あたりから読んだままで放置したままなので、早く戻りたいと思っているうちに「ギリシア人の物語」が出始めてしまった。
生きているうちに塩野さんを読み通せるかな、心配。